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土肥洋一の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第199回】

216試合連続フルタイム出場という、2006年当時のJリーグ連続出場記録を持つGK土肥洋一。

抜群の安定感でチームの守備の要となり、柏レイソル、FC東京、東京ヴェルディと所属したチーム全てにおいて正GKを務めた。

2006年には32歳でドイツワールドカップ日本代表に選出。川口能活、楢崎正剛に次ぐ第3GKという難しい立場ながら最年長選手として日本代表を影から支えた。

ハイボールにも強く、ミドルレンジからのシュート対応も落ち着いてこなす。DFとの連携もスムーズに行うなど弱点らしい弱点が見当たらない。

全てにおいて高レベルな能力を持ったGK土肥洋一に迫る。

土肥洋一のプロ入り前


土肥は1973年に熊本県熊本市に生まれた。

サッカーを始めたのは遅く城南中学校に入学してからである。

大津高校サッカー部監督だった遠山和美さんは土肥について「手足が長く、シュートが入ると思っても、手がニョキッと伸びて止める。独特の身体能力があった」と話す。

高校卒業後、日本サッカーリーグのチームへ進む予定だったが足を骨折した為に断念し就職をする。

しかしサッカーへの夢を断ち切れずにテレビ番組「天才たけしの元気が出るテレビ」のJリーガー養成サッカー企画番組に出演。

セルジオ越後監督の元、土肥は「GENKI・FC」の一員として選手権で優勝した小倉隆史中西永輔中田一三擁する四日市中央工業高校と対戦。

試合は0-5で敗れるも土肥洋一のアピールが身を結びある日立(現柏レイソル)の入団テストに繋がり所属が決まった。

日立では入団当初は出番に恵まれないながらも、入団3年目の1994年に徐々に出場の機会を得るとこの年柏レイソルは年間順位2位となりJリーグへ昇格。

1995年、土肥洋一は晴れてJリーガーとなった。

土肥洋一のプロ入り後

柏レイソルでは安定したプレーで早々に正GKの座を掴む。

1996年にはアトランタ五輪バックアップメンバー選出や、JOMOカップ出場など活躍。

しかし1998年に静岡学園から南雄太が加入すると出番が減少。1999年はリーグ戦3試合の出場にとどまりこの年限りで柏レイソルを退団する。

2000年からはFC東京に完全移籍で加入。

FC東京ではシーズン前から大熊清監督の信頼を得て開幕から正GKに君臨。

2003年にはジーコ監督により日本代表に初選出。

2004年には連続フルタイム出場が146試合となり、それまでの真田雅則(清水エスパルス)の記録を破りJリーグ記録となった。

この年はFC東京のナビスコカップ制覇に貢献しMVPを獲得。リーグ戦でも安定した守備でベストイレブンに輝いた。

2005年の東アジア選手権第3戦の韓国戦ではスーパーセーブを連発。18本のシュートを浴びながらも神懸かった活躍を見せ日本の勝利に貢献した。

2006年、土肥は川口能活、楢崎正剛に次ぐ第3GKとしてドイツワールドカップ日本代表に選出。出場の機会はなかったが練習から最年長選手としてチームをまとめた。

2008年には福西崇史と共に東京ヴェルディへ移籍。

ヴェルディでも安定した守備を見せるがヴェルディは下位に沈みJ2に降格するが土肥は残留しチームを牽引した。

2011年には左アキレス腱断裂という大怪我を負うが2012年に復活を果たす。

安定した守備は現在であったものの37歳という年齢からくる衰えは隠せずこのシーズン限りで現役を引退した。

土肥洋一の引退後と現在

土肥洋一は引退後、東京ヴェルディのゴールキーパーコーチに就任。

2018年からはレノファ山口FCトップチームGKコーチを務めている。

2006年ドイツワールドカップの出来事だ。

この試合で2-0で勝たなければグループリーグ敗退という状況で迎えたブラジル戦。日本は玉田圭司の先制ゴールで希望を持つも前半終了直前にロナウドにヘディングで入れられてしまう。

右サイドからのシシーニョのクロスに対してほとんどフリーで打たれたロナウドのヘディングシュート。

失意の中ハーフタイムに入り、GK川口能活が出るべきであったか、中田英寿と川口が言い合いになったシーンがあった。

すかさず土肥は川口の肩を抱いて落ち着かせる為に声を投げかけた。

「行けないと判断してあのポジションを取った。それを他人がどう言ったとしてもあれはベストの選択だった。前半だけで4、5点は防いでいる。防いでなかったら4、5点は取られていてもおかしくないんだよ」

そう言って土肥は川口を必死で落ち着かせたという。

たとえ試合に出られないとしても共に戦い、ライバルを必死で励ます。最年長の土肥が練習から球拾いを行い、紅白戦でもフィールドプレーヤーとして決して手を抜かずに全力でプレーした。

土肥洋一は第3GKという非常に難しいポジションを理解しチームの為に全力で戦った。

残念ながら日本はグループリーグ敗退となったが、最年長のベテランが献身的にチームを支えた功績は大きい。

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