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佐伯直哉の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第226回】

読売ユース出身ならではの高い技術と豊富な運動量を武器にリンクマンとして活躍した佐伯直哉。

大学時代は屈指のボランチとして知られユニバーシアード日本代表に選出された。

怪我に泣かされたシーズンもあったがJリーグ通算202試合に出場。

インターセプトの能力とセカンドボールの奪取能力に優れ、広い視野をもった佐伯直哉はポゼッションやカウンターの起点となった。

佐伯直哉のプロ入り前

佐伯直哉は1977年に東京都多摩市に生まれた。

1986年東寺方サッカー少年団に入団、小学校3年生でサッカーを始める。

プロを意識したのは日本リーグがプロ化することが決まった小学生の頃であった。

中学入学と同時に読売日本サッカークラブジュニアユースに入団。

永山高等学校入学と同時に読売ユースに昇格。

1993年にはU-17日本代表に選出されるなど順調にプロへの階段を上がっていった。

しかしトップチームでプレーしたいという思いは叶わず昇格とはならなかった。

プロ入りを見送られた佐伯は高校卒業後、国士舘大学へ入学。

大学生在学中、再びプロへチャレンジすべく努力を重ねユニバーシアード日本代表として2度出場するなどの活躍を見せた。

4年時には「大学サッカー界ナンバーワンのボランチ」として、Jリーグ各クラブのスカウトからも注目される存在となる。

2000年、佐伯はジュビロ磐田に入団する。

佐伯直哉のプロ入り後

2000年、ジュビロ磐田に入団するも、大学時代の経験から自信をもって挑むも、出場機会を掴むことは出来ず入団2年で出場はわずか1試合のみであった。

2001年シーズン途中でヴィッセル神戸へ期限付きで移籍。

レギュラーの座を掴むとジュビロ磐田時代ピッチに立てずに溜め込んでいたストレスを徐々に発散するかのように、リーグ戦10試合に出場。翌2002年シーズンは23試合に出場して2得点をあげた。

2003年ヴィッセル神戸に完全移籍。

神戸の中心選手としても存在感を増していった矢先、右膝前十字じん帯断裂の重傷を負いピッチに立てない日々が続いたが2004年に怪我から復帰。

2005年にはリーグ戦30試合に出場したがチームはJ2降格となり移籍を決意。

2006年、大宮アルディージャに入団。

シーズン後半はアピスパ福岡へ期限付き移籍。

2007年に大宮アルディージャに復帰するとレギュラーとして活躍。

その後ジェフユナイテッド千葉を、経て2010年に佐伯の原点である東京ヴェルディに移籍。

ヴェルディでは不動のボランチとして活躍。攻守のバランスを取りながら、セカンドボール奪取後に広い視野をもって長短のパスで散らしていく佐伯のプレーは確実に落ち着きを与えヴェルディのゲームコントロールに欠かせない人物となった。

2012年、怪我の影響もありリーグ戦2試合の出場に留まり退団。

J2で64試合プレーし、J1通算138試合に出場したが2012年末に現役引退を発表した。

佐伯直哉の引退後と現在

佐伯直哉は引退後、フットサルコートなどでコーチを務めつつ。東京都小金井市でイタリアンバーを経営。

2017年からは古巣である東京ヴェルディユースのコーチに就任している。

佐伯直哉は現役時代、高い技術と危機察知能力に優れたボランチとして活躍した。

目立たないポジションではあるが、攻守の要として労を厭わずにアップダウンを繰り返しチームを支える佐伯のプレーは確実に安定感を与えたように思う。

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