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ケネディの現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第118回】

身長194センチ、体重84キロという恵まれた体格を生かしてJリーグでゴールを量産したジョシュア・ケネディ。

ドイツ・ブンデスリーガから名古屋グランパスに加入したケネディは、2010年、2011年と2年連続でJリーグ得点王に輝いた。

Jリーグ在籍6シーズンで奪ったゴールは68(天皇杯、カップ戦含む)。

ケネディの強みは圧倒的な高さだけではない。

ケネディは足元も柔軟で、最前線のターゲットマンとしてポストプレーに徹したり、前線のタメを作るキーマンとしても優秀。

ケネディを起点に玉田圭司や小川佳純、永井謙佑などが躍動し数々のゴールが生まれた。

ケネディはドイツで9シーズンプレーした能力の高さをJリーグで証明してみせた。

ジョシュア・ケネディのJリーグ入り前


ケネディは1982年にオーストラリアのビクトリア州にあるウォドンガに生まれた。

オーストラリア国立スポーツ研究所でサッカーを学び、1999年に母国のカールトンでプロデビューを果たす。

しかし翌年にはドイツに渡り、ブンデスリーガのヴォルフスブルクと契約。

この時ケネディは18歳であり、同年のハンブルガーSVとの試合でデビューを果たすが、これはブンデスリーガにおいてオーストラリア人史上最年少でのデビューとなった。

しかし出場機会は2年間でリーグ戦8試合のみと少なく、2002年にレギオナルリーガ(ブンデスリーガの4部に相当)のシュトゥットガルター・キッカーズへ移籍した。

翌2003年にブンデスリーガの1.FCケルンに移籍するもここでも出場機会はなかった。

2004年ブンデスリーガ2部のドレスデンへ移籍するとリーグ戦34試合に出場し9得点を挙げる活躍を見せる。

2006年からは再度ブンデスリーガ1部に戦いの場を移しニュルンベルク、カールスルーエと渡り歩くも大きな結果は出せなかった。

カールスルーエは2008-2009シーズンを持ってブンデスリーガ2部に降格。

トップリーグでのプレーを希望していたケネディは日本のJリーグに興味を示し、名古屋グランパスへ加入する。

ケネディはブンデスリーガ1部57試合に出場し9得点、ブンデスリーガ2部60試合に出場し16得点の成績を残した。

ジョシュア・ケネディのJリーグ入り後

ケネディは2009年7月18日の京都サンガ戦でJリーグデビューを果たすといきなりヘディングで初ゴールをマーク。

途中加入ながらケネディのプレースタイルはすぐにチームにフィットし、加入初年度は15試合に出場し6得点を挙げた。

2年目の2010年はケネディをトップに、左に玉田圭司、右に金崎夢生を置くシステムが機能し得点を量産。

プレースキックでは身長191センチのDF増川隆洋、身長184センチの闘莉王とともに圧倒的な高さを見せた。

名古屋はこのシーズン一度の連敗もなくJリーグ18年目にして初のリーグ優勝を決めた。

ケネディ自身もリーグ戦31試合に出場し17得点を挙げ、Jリーグ得点王とJリーグベストイレブンのタイトルを獲得した。

ケネディはオーストラリア代表として2006年ドイツ大会に続き、この年行われたワールドカップブラジル大会に出場。

ガーナ戦とセルビア戦の2試合に出場した。

2011年も名古屋は好調を維持し年間順位2位の成績を収め、ケネディ自身もこの年加入した藤本淳吾や永井謙佑と絶妙なコンビネーションを見せる。

終わってみれば31試合に出場し19得点の活躍で2年連続で得点王とベストイレブンのタイトルを獲得した。

2012年は腰痛の影響もあり、18試合の出場に留まり5得点に終わる。

ケネディの不調は名古屋グランパスの攻撃陣に大きな影響を及ぼし、ケネディを欠いた名古屋は闘莉王をトップに置くシステムを敷く苦肉の策を打つも、年間順位は7位に終わった。

2013年は序盤に点が取れない試合が続くものの、後半には持ち直し27試合に出場し12得点をマーク。

Jリーグ最後のプレーとなった2014年は持病の腰痛と戦いながらのプレーとなり、11試合の出場で5得点に留まった。

ケネディは2015年を持って6年間在籍した名古屋グランパスを退団。

オーストラリアのメルボルンシティFCへ移籍し、6ヶ月プレーした後に32歳で現役を引退した。

ジョシュア・ケネディの引退後と現在

ケネディは引退後、母国で評論家として活動。

2018年には名古屋グランパスの試合を観戦する為に来日するなど、日本との交流は続いている。

ケネディは紛れもなく2010年名古屋のポゼッションサッカーの起点だった。

ケネディのキープ力やポストプレーがあったからこそ、玉田圭司や金崎夢生のようなスピードのあるドリブラーが本領を発揮し、攻撃を支配することが出来たと言っても過言ではない。

ケネディ1人の不在でチームもバランスを崩し、システムを再構築せざるを得なくなった程だ。

ケネディはそれだけ影響力があり絶対的な選手であった。

腰椎の椎間板障害の為、32歳で現役を退いたケネディ。

ケネディのコンディションが維持できていたなら名古屋の2011年の優勝もあったに違いない。

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