カバーリング能力に優れ、豊富な運動量と献身的なディフェンスを武器に、名古屋グランパスエイトや川崎フロンターレで活躍した中西哲生。
名古屋時代は、名将アーセン・ベンゲル監督に重宝され、2列目のディフェンス強化や、前線のスペースへの飛び出し専門のスーパーサブとして起用された。
また、語学力にも長けていた為、監督と選手間の橋渡し役としても能力を発揮。中西哲生は、ストイコビッチなど、外国人選手とのコミュニケーションを支える貴重な存在となった。
川崎フロンターレに移籍後は、守備力を買われ、主にボランチ、DFとして活躍。1999年シーズン途中から主将を務め、フロンターレのJ1昇格の原動力となった。
現在は独特の観点でスポーツジャーナリストとして活躍する中西哲生に迫る。
中西哲生のJリーグ入り前
小学校3年時にサッカーを始め、千種サッカー少年団に入団する。中西の2学年下の同少年団にはお笑いコンビペナルティのワッキーがいた。
名古屋市猪高中学校進学後は、サッカー部のエースとして活躍。
中学卒業後は、名古屋大学附属高校時代に進学。全国有数のユースクラブチームでもある愛知FCに在籍し、プレーを続けた。高校3年時には国体に出場を経験した。
中西は、高校卒業後、同志社大学へ進学。同学年には、後にガンバ大阪や浦和レッズで活躍する佐藤慶明がいた。大学時代は総理大臣杯ベスト8進出などを経験する。
大学卒業後の1992年、中西は名古屋グランパスエイトに入団する。
中西哲生のJリーグ入り後
1993年にJリーグが開幕。
中西はベンチメンバーに名を連ねるも、同ポジションには元日本代表の浅野哲也がいたため、ベンチを温める日が続いた。
1993年5月29日の第5節清水エスパルス戦でガルサと代わり、途中出場。Jリーグデビューを飾る。6月5日の第7節ガンバ大阪戦では背番号6を背負い、初となるスタメン出場を果たした。しかしこのシーズンはリーグ戦4試合の出場に留まる。
1994年は、イングランド人のゴードン・ミルンが監督に就任。そして浅野哲也が浦和レッズにレンタル移籍をしたこともあり中西に出場機会が巡ってくる。
リーグ戦37試合に出場し、8月20日2ndステージ第4節の横浜フリューゲルス戦では待望のJリーグ初ゴールをマーク。2-1での勝利に貢献した。
1995年にはアーセン・ベンゲルが監督に就任すると、それまで低迷していた名古屋が息を吹き返す。サントリーシリーズ4位、ニコスシリーズは2位と躍進し、総合順位が3位となった。この年、ストイコビッチは年間MVPを奪い、ベンゲルはJリーグ最優秀監督賞を獲得した。
中西自身も、ボランチのみならず攻撃のアクセントとしても起用されキャリアハイとなるシーズン6ゴールをマーク。8月16日の2nd第2節のジェフ市原戦から3試合連続でゴールを決め、名古屋の連勝に貢献した。この3試合連続ゴールは全て途中出場から決めたものとなった。
また、この年に行われた第75回天皇杯全日本サッカー選手権大会でも、名古屋は無類の強さを発揮。中西も決勝までの全試合に出場し、名古屋の初タイトル獲得に大きく貢献した。
しかし1996年シーズンは出場機会が減少し、この年をもって名古屋を退団。当時JFLの川崎フロンターレへ移籍する。
この年のフロンターレは、年間順位3位となるも昇格は果たせなかった。中西は、フロンターレで唯一となるリーグベスト11に選出される活躍を見せた。
翌年の1998年もフロンターレに残留。中西はチームの中心選手として活躍。最終節まで優勝争いが縺れ込む展開となったが、最終的に東京ガス(FC東京)が優勝を果たし、フロンターレは2位となり、J1参入決定戦に回るも、1回戦でアビスパ福岡に敗れ、翌年のJ2参入が決定した。中西はこの年も、2年連続でリーグベスト11に選出されている。
1999年には、中西は途中から主将を務めてディフェンスラインを安定させる。そしてJ2における2位以内を確定させると、残りの試合でも勝利し、見事J2優勝を飾った。この間の激闘を、中西は自らホームページに記録し続け、後に「魂の叫び J2聖戦記」として出版した。
2000年、チームは初のJ1を戦うも、中西の出場はリーグ戦5試合に留まり、この年をもって現役を引退。
31歳の若さでピッチを去った。
中西哲生の引退後と現在
中西は引退後、スポーツジャーナリストとして活躍。
「GET SPORTS」(テレビ朝日系)や、「NEWS23」(TBS系)、「ズームイン!!SUPER」(日本テレビ系)でスポーツコメンテーターを担当している。
また、2008年には日本サッカー協会特任理事に就任、2014年には桐蔭横浜大学客員教授に就任するなど活躍の場を広げている。また、古巣である川崎フロンターレのクラブ特命大使として、広報活動や普及活動にも力を入れている。
そして中西哲生といえば、構築する独自の技術理論に基づいて説明される“中西メソッド”が有名だ。多くの男女プロサッカー選手が定期的に中西からパーソナル指導を受けている。
中西メソッドにおけるシュートの型は、「スピードを出すストレート系のシュート」、「インカーブの巻くシュート」、そして「ループシュート」の3種類だ。特に日本人に足りないのは、巻いて蹴るシュートだと語っている。
これまでも、長友佑都や大儀見優季といった日本代表選手を始め、高校サッカー選手達らも中西メソッドを習得し大きな変化を感じているという。
それは、現役時代にアーセンベンゲルの指導を受け、ジャーナリストとして、様々なスポーツを独自の観点で分析を続けてきた中西哲生だからこそできる方式なのではないだろうか。