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古島清人の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第353回】

187㎝、80kgという恵まれた体格を生かし、安定感のあるGKとして活躍した古島清人。

1993年にはベルマーレ平塚の前身であるフジタに所属し、JFL優勝に大きく貢献し、ベストGKに輝いた実績がある。

Jリーグ昇格後、ベルマーレでは日本代表の小島伸幸と激しいポジション争いを演じた。

基本技術が高く、1対1にも強いGKだったが、現役晩年に所属したアビスパ福岡では腰痛に悩まされ試合出場のないままチームを去ることになった。

古島清人のJリーグ入り前


古島は1968年に熊本県八代市に生まれた。

小学校でサッカーを始め、八代市立第四中学校卒業後、九州の名門である国見高校へ進学。

古島の1学年上に高木琢也(サンフレッチェ広島)、同学年に小島光顕(サンフレッチェ広島)がいる。

3年次に出場した選手権では背番号1を背負うも、試合には別の3年生が出場したため、古島の試合出場は叶わなかった。尚、国見は今大会が初出場ながら、準優勝に輝いている。

国見高校卒業後、ベルマーレ平塚の前身であるフジタ工業クラブに入部する。

フジタでは入団3年目のシーズンから起用され始めると、1991年、入団5年目にはリーグ戦フル出場を達成。フジタの1部昇格に貢献した。

1992年、1993年も正GKとして活躍。1993年は全試合フル出場、リーグ戦18試合でリーグ最少の12失点に防ぎ、JFL優勝に貢献。古島自身もベスト11に輝くなど、充実したシーズンとなった。

1993年、Jリーグ参戦前年に出場したヤマザキナビスコカップには正GKとして6試合すべてに出場した。

古島清人のJリーグ入り後

1994年、古島はベルマーレ平塚の選手としてJリーグに参戦する。

開幕戦であるサントリーシリーズ第1節ヴェルディ川崎戦では、正GKとしてスタメン出場を果たすも、Jリーグの洗礼を受け、1-5で大敗。

第2節マリノス戦では1-0でJリーグ初勝利に貢献するも、第3節清水エスパルス戦では1-4でまたしても大差で敗れた。

浮上のきっかけがほしい平塚は、第4節から小島伸幸をスタメンで起用。このまま小島が残りのシーズンもスタメンで起用されたため、古島はサブに回ることになった。

1995年も小島が正GKとして起用されたが、小島が日本代表に選出され、怪我の影響で戦列を離れた際の貴重なバックアップメンバーとしてリーグ戦6試合に出場するなど活躍した。

しかし、ポジションを奪いきるまでは至らなかった。

1996年にアビスパ福岡へ移籍。

再起を図るも、腰痛に苦しめられ、1996年は試合出場なくリハビリに費やすことになった。

1997年は怪我の影響や塚本秀樹、佐野友昭がメインで起用されたため、出場機会がなく福岡を去ることになった。

1998年は大宮アルディージャへ移籍。

Jリーグを知る貴重なベテランとして、チームを支え、この年リーグ戦26試合に出場するもチームは年間順位12位に沈んだ。

1999年からは九州リーグに活躍の舞台を移し、2年間プレー。2000年のシーズンをもって現役を引退した。

古島清人の引退後と現在

古島は引退後、GKコーチとして活躍。

高崎経済大学附属高等学校で指導をスタートし、その後は古巣である湘南ベルマーレ、大宮アルディージャ、ザスパ草津、徳島ヴォルティスのトップチームでGKコーチを務めた。

また、古島の息子である古島圭人もGKの道に進み、J3の横浜スポーツ&カルチャークラブでキャリアをスタートし、関東リーグの東京ユナイテッドFCやJFLの東京武蔵野ユナイテッドFCでプレーした。

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