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藤吉信次の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第35回】

ゴール後に見せるパフォーマンスは、「かい~の」「大相撲」「ぴょん吉」「アホの坂田」等、バリエーションも豊富で、幅広い層から人気を集めた。

しかし、藤吉信次のプロサッカー人生は決して平坦ではなかった。

プロデビューしたヴェルディでは三浦知良、武田修宏らスター選手の陰に隠れ、京都パープルサンガでは怪我に泣かされ出場機会に恵まれなかった。

それでも藤吉信次は国内外6チームを渡り歩き、22年のプロサッカー生活を送った。

平均引退年齢が25才といわれるJリーグの中で38歳まで現役生活を続けることができるのは並大抵のことではない。

そこにはユニークなキャラクターだけではなく、確かな技術と誰よりもサッカーを愛する強い信念があった。

藤吉信次のプロ入り前


藤吉は1970年に東京都町田市に生まれた。

中学時代に読売SCユースBに加入した。

高校は東京都立忠生高等学校に進学し、ユースもBチームからAチームに昇格した。

当時から読売ユースはレベルが高いことで知られ、藤吉の高い技術とドリブル能力は読売で培われた。

高校卒業と同時に日本サッカーリーグの読売クラブ(現東京ヴェルディ )に昇格加入。
加入1年目はリーグ戦10試合に出場し2得点を挙げる。

1989年の読売のFWはラモス瑠偉、武田修宏戸塚哲也など実力者が多く、藤吉の出場機会は決して多くなかった。

読売2年目も17試合に出場し4得点を記録。

藤吉が読売に加入して3年目にチームはヴェルディ川崎として始動し、Jリーグに参戦した。

藤吉信次のプロ入り後

ヴェルディ川崎では三浦知良、武田修宏ら強力なツートップがいたため、藤吉はスーパーサブ的な扱いが多かった。

ヴェルディでの1年目のシーズンは6試合に出場し1得点。

2年目は8試合に出場し3得点を記録。ニコスシリーズのベルマーレ平塚戦ではDFを背負いながら見事なオーバーヘッドシュートを決める。

決して多くない出場時間の中で貴重なゴールを挙げ、ゴール後のパフォーマンスで一躍有名になった。

ピッチ外でもSMAP主演の映画「シュート!」にラモス瑠偉、武田修宏とともに本人役で出演したり、バラエティ番組やCM出演を果たすなど、多岐に渡って活躍した。

ヴェルディには1996年途中まで在籍し、出場機会を求め、京都パープルサンガへ移籍した。

京都では背番号11を背負い、本職のFW以外にMFもこなした。

京都には4年間在籍し、2000年には当時J2のベガルタ仙台へ移籍。

加入1年目に39試合に出場し10得点を記録。自身初となる二桁得点を記録した。

2年目にも31試合に出場し8得点を挙げ、ベガルタ仙台のJ1昇格に大きく貢献。

藤吉はこの時既に30歳を超えていたが、ベテランであるにもかかわらず、こぼれ球にも全力で飛び込むプレースタイルはベガルタ仙台の若手選手達への良い見本となった。

2003年は中国2部の成都天誠足球俱乐部で日本人初のCリーガーとしてプレー。

その後は2004年からは当時九州リーグに所属していたFC琉球に移籍し2005年のJFL昇格に貢献した。

2007年からは九州リーグのニューウェーブ北九州(ギラヴァンツ北九州)に移籍し、JFL昇格に貢献。2009シーズンを持って現役を引退した。

藤吉信次の引退後と現在

藤吉は引退後、ギラヴァンツ北九州のコーチに就任。

東京ヴェルディのユースコーチを経て現在は東京ヴェルディのトップチームのコーチを務めた。

2021年12月9日には、北信越リーグの福井ユナイテッドFCの監督就任が発表された。

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