16歳でJリーグデビューを果たし、40歳まで現役を続けた阿部勇樹。

ジェフユナイテッド市原・千葉でプロとしてのキャリアをスタートさせ、浦和レッズではキャプテンとして数々のタイトルを獲得。

イングランドのレスター・シティでもプレーし、日本代表としては2010年南アフリカワールドカップにも出場した。

ボランチ、センターバック、サイドバックなど複数のポジションをこなし、セットプレーのキッカーとしても高い能力を持っていた。

そして、長くチームの中心として戦い続けたキャプテンシーも、阿部勇樹を語るうえでは欠かせない。

2021年、40歳で現役を引退。

J1通算589試合に出場した、日本サッカーを代表するユーティリティープレーヤーだった。

阿部勇樹の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る。

阿部勇樹のプロ入り前

阿部勇樹は1981年9月6日、千葉県市川市に生まれた。

幼少期からサッカーを始め、富美浜FC、市川FCでプレー。

その後、ジェフユナイテッド市原のジュニアユース、ユースへ進んだ。

高校年代からすでに高い評価を受けており、1997年にはユース所属ながらトップチームに登録された。

そして1998年8月5日。

16歳333日でJリーグデビューを果たす。

当時のJリーグ最年少出場記録だった。

高校生ながらプロの舞台に立った阿部は、翌1999年にはJリーグ初ゴールも記録。

若くしてトップチームの中心へと成長していった。

阿部勇樹のジェフ時代

2000年にジェフユナイテッド市原とプロ契約を結ぶ。

阿部は中盤の選手としてプレーしながら、徐々にチーム内での存在感を高めていった。

そして2001年。

まだ20歳だった阿部は、イビチャ・オシム監督のもとでキャプテンを任される。

若い選手がチームのキャプテンを務めるという大きな責任を背負った。

オシム監督との出会いは、阿部のサッカー人生に大きな影響を与えた。

守備だけ。攻撃だけ。自分のポジションだけ。

そうではなく、チーム全体を考えてプレーすることを求められた。

2005年、2006年にはナビスコカップを連覇。

2005年にはJリーグベストイレブンにも選出された。

さらに2006年にもベストイレブンに選ばれ、Jリーグを代表するMFの一人となった。

そして2007年。

阿部は浦和レッズへ移籍する。

阿部勇樹の浦和レッズ時代

2007年に浦和レッズへ加入。

浦和ではボランチを中心にプレーし、守備と攻撃の両面でチームを支えた。

移籍1年目から大きなタイトルを獲得する。

2007年、浦和レッズはAFCチャンピオンズリーグを制覇。

阿部も主力としてアジア王者のタイトルを手にした。

その後、浦和でプレーを続けた阿部は2010年にイングランドへ渡る。

レスター・シティへ移籍し、海外での挑戦をスタートさせた。

阿部勇樹の海外挑戦と浦和への復帰

レスター・シティではチャンピオンシップを戦った。

日本とは異なる環境の中でプレーし、フィジカルの強いイングランドのサッカーを経験した。

2012年、阿部は浦和レッズへ復帰。

再び浦和のユニフォームを着ることになった。

復帰後も中盤の中心としてプレー。

2016年にはJリーグカップを制覇し、自身4度目となるJリーグベストイレブンにも選出された。

2017年には再びAFCチャンピオンズリーグを制覇。

浦和にとって10年ぶりとなるアジア王者のタイトルだった。

2018年には天皇杯も獲得。

浦和で数多くのタイトルを手にした。

阿部勇樹の日本代表

阿部は2005年に日本代表デビュー。

2007年のアジアカップにも出場した。

そして2010年。

南アフリカワールドカップの日本代表メンバーに選出される。

本大会ではグループリーグから出場し、日本の決勝トーナメント進出に貢献。

4試合に出場した。

日本代表ではボランチだけでなく、センターバックとして起用されることもあった。

相手の攻撃を読み、危険な場所を埋める。

そしてボールを奪えば、シンプルに味方へつなぐ。

派手なプレーをするタイプではないが、チームのバランスを整える役割を担った。

日本代表では最終的に53試合に出場し、3ゴールを記録した。

阿部勇樹のプレースタイル

阿部勇樹の最大の特徴は、「チームのために自分の役割を変えられること」だった。

ボランチ。センターバック。サイドバック。

必要とされれば、複数のポジションをこなした。

特にボランチでは、守備面での安定感が大きな武器だった。

相手の攻撃を予測してポジションを取る。

味方の最終ラインの前に立ち、危険なスペースを埋める。

そしてボールを奪った後は、無理に前へ運ばず、確実に味方へつなぐ。

一方で、攻撃面でも確かな技術を持っていた。

阿部はキックの精度が高く、フリーキックやPKのキッカーを任されることも多かった。

特にセットプレーでは、ゴールへ直接向かうキックだけでなく、味方の頭に合わせるボールも蹴ることができた。

また、阿部はサッカーを「自分のポジションだけ」で考える選手ではなかった。

味方のサイドバックが攻撃参加すれば、その背後をカバーする。

センターバックがボールを持てば、パスを受けられる位置へ移動する。

チームが苦しい時には、あえて低い位置まで下がってボールを受ける。

そのため、阿部がいることでチーム全体のバランスが安定した。

そして、もう一つ大きな特徴がキャプテンシーだった。

ジェフ時代には20歳でキャプテンを任され、浦和でも長くチームをまとめた。

大声で味方を鼓舞するだけのキャプテンではない。

自分が走る。自分が守る。

苦しい場面でもプレーを止めない。

言葉だけではなく、プレーでチームを引っ張るタイプだった。

阿部自身も、選手時代は「プレーで示す」ことをスタイルとしていたと振り返っている。

阿部勇樹の引退と現在

2021年11月、阿部は2021シーズン限りでの現役引退を発表した。

40歳。

1998年に16歳でJリーグデビューしてから、24年間にわたる現役生活だった。

J1通算589試合、75得点。

日本代表では53試合に出場した。

浦和ではAFCチャンピオンズリーグを2度制覇。

Jリーグカップ、天皇杯などのタイトルも獲得した。

そして4度のJリーグベストイレブン。

2022年からは浦和レッズユースのコーチに就任し、JFAのロールモデルコーチとしても若い世代の育成に携わっている。

阿部勇樹の現役生活を振り返ると、派手なスター選手というよりも、チームに欠かせない存在だったことが分かる。

16歳でJリーグデビュー。

20歳でキャプテン。

日本代表。

ワールドカップ。

海外挑戦。

そして浦和で数々のタイトル。

24年間のキャリアの中で、ポジションや役割を変えながらチームに貢献し続けた。

どんな仕事を任されても、最後まで責任を果たす。

自分が目立つことよりも、チームが勝つことを優先する。

その姿勢を長年にわたって貫いた。

だからこそ、阿部勇樹がピッチを離れた後も、多くの人から「チームのために戦う選手」として記憶されている。

日本サッカーを支えた、唯一無二のユーティリティープレーヤー。

それが阿部勇樹だった。

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