186センチの長身を生かした空中戦の強さを武器に、創世期の浦和レッズで活躍したDF西野努。
1998年には得点力のあるDFとして飛躍し、日本代表候補に選出された。
1993年当時としては非常に珍しい国立大学出身のJリーガーとして注目を集めた。
西野努のJリーグ入り前
小学校6年生の時に、静岡県から赴任してきた担任の教師がサッカー少年団を立ち上げたことがきっかけでサッカーを始める。
奈良市立二名中学校進学後はサッカー部に所属。
当時のポジションはボランチやセンターバックであった。
中学3年生になってレギュラーに選ばれるも、奈良県選抜に選出されるような目立った活躍はなかった。
中学校卒業後、県内一の進学校である奈良高校へ進学。
高校時代は選手権やインターハイなどの出場経験はなかった。
高校を卒業後、父親神戸大学経営学部へ進学。
税理士として会計事務所を経営している父親の助言がきっかけだった。
大学の1学年上に八十祐治(ガンバ大阪)がいる。
大学ではサッカー部の所属するも、指導者がおらず、関西の名門ヤンマーの練習を見学に行くなどして独学で練習メニューを考えるようになる。
レギュラーを掴むと、関西学生サッカーリーグ1部昇格に貢献。関西学生選抜に選出されるようになった。
大学4年次にガンバ大阪の練習に参加するようになるとプロ入りを意識するようになる。
その後、浦和レッズの練習に参加し、大学4年次の夏にオファーを受け、1993年に華々しく開幕したJリーグで戦うため、浦和入りを決意する。
西野努のJリーグ入り後
1993年、Jリーグが開幕。
西野は開幕戦のガンバ大阪戦でベンチ入りを果たすと、同年5月26日サントリーシリーズ第4節ジェフ市原戦でセンターバックとしてJリーグ初出場を果たす。
開幕年の浦和レッズは年間36試合でリーグワーストとなる78失点を喫し、最下位に沈むなどチーム状況は最悪であったが西野は1年目ながらリーグ戦18試合に出場する。
長身でクレバーな守備をするルーキーの西野にかかる期待は大きかったが、同年に左足を骨折する重傷を負い、その後は1年以上の時間をリハビリに費やすことになる。
1995年のシーズン中盤に復帰を果たすとリーグ戦17試合に出場。
ブッフバルトや田口禎則と3バックを形成した。
1996年は故障によりリーグ戦の出場はなかったが、1997年4月16日1stステージ第2節清水エスパルス戦でボリと交代で出場すると、左足でネットを揺らしJリーグ初ゴールを決めると、このゴールが決勝点となり勝利の立役者となった。
この年はリーグ戦25試合で3ゴールをマーク。
1998年5月9日1stステージ第12節京都パープルサンガ戦では、延長前半にフリーキックのこぼれ球を左足で押し込み、Vゴールを決めた。
この年はキャリアハイとなるリーグ戦27試合に出場し、8月には日本代表候補に選出され、合宿に参加した。
しかし1999年は控えに回ることが多くなり、リーグ戦9試合の出場に留まる。
チームも初となるJ2降格となるなど苦しいシーズンとなった。
2000年は守備の柱として存在感を発揮し、リーグ戦27試合に出場。
長身を生かした攻撃参加で得点力も見せ、4ゴールをマークし浦和のJ1昇格に貢献した。
2001年は井原正巳とのコンビでセンターバックのポジションで活躍。
1stステージは開幕戦から出場を続けるも、2ndステージはほとんど出場機会がなくこの年限りで現役を引退した。
西野努の引退後と現在
西野は現役引退後、浦和レッズのフロントに入る。
1年間浦和レッズで勤務しながら英語を学び、リバプール大学でフットボール・インダストリーズ(フットボール経営学)を専攻し、MBA(経営学修士)を取得した。
その後は浦和レッズのフロントで勤務し、2008年に産業能率大学客員教授に就任した。
2019年からは浦和レッドダイヤモンズのテクニカルダイレクターに就任。
デンマーク人FWキャスパー・ユンカーやDFアレクサンダー・ショルツなど欧州ルートからの外国人選手獲得に尽力した。
「サッカーは知的なスポーツである」というのは西野努の言葉である。
引退後に様々な方面で活躍している西野努であるが、10代の時は全国大会への出場はなく、目立った選手ではなかった。プロ入りを意識したのも大学4年次であることからも、プロ選手としてはかなり遅い部類に入る。
大学時代、指導者に恵まれない環境でありながらも、プロの練習を参考に自分で練習メニューを考案。また、「相手の目を見なさい」という先輩の助言をヒントに、相手の目を見て先を読み、常に3メートル先の展開を読んで動くことによってプレーの幅が広がったという。
身体能力に劣っていても、環境に恵まれなくとも、「頭を使う」ことによってサッカーは想像を超える可能性を発揮する。そして時には裏をついて相手の嫌がるプレーを選択し精神的に優位に立つこともサッカーの醍醐味であるのだ。