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第333回 バレーってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

大宮、甲府、ガンバ大阪、清水エスパルスと、実に4つのJクラブでプレーしたストライカー・バレー。

身長190センチの高さを生かしたプレーと、強力なシュート力が持ち味で、Jリーグ通算269試合で127ゴールを記録した。

特に、波に乗った時のバレーの爆発力は凄まじいものがあり、手がつけられなかった。2005年には、柏レイソルとのJ1・J2入れ替え戦で、Jリーグの1試合個人最多得点記録となるダブルハットトリックを記録。救世主として多くのサポーターに感動を与えた。

ブラジルで輝かしい実績があるわけでなく、貧しい家庭で育った苦労人のバレーは、日本の地でチャンスを掴み、その後、移籍金6億5000万円を稼ぐほどのビッグプレーヤーに成長していく。

バレーのJリーグ入り前

バレーは、1982年に、ブラジルの最南端に位置するリオグランデ・ド・スル州に生まれた。

生まれて間もなく父親が他界したこともあり、非常に貧しい家庭で生まれ育つ。 12歳の頃から、母親と共にスーパーマーケットで勤務を始める。

愛称である「バレー」は、ブラジルで販売されている「バレーコーラ」という安価な清涼飲料水からくるものである。バレーはコーラを飲むことが出来ず、バレーコーラばかり飲んでいた為、この愛称がついたという。

スーパーマーケットの店員で構成されたサッカーチームで週に1回プレーするようになると、16歳の時に、ウルグアイのデフェンソール・スポルティングのユースチーム所属する。

しかし、練習に参加するだけで公式戦への出場はなかった。翌年にはブラジルのグアラニFCでの練習にも参加し、少しずつ頭角を現していく。

2000年、デフェンソール・スポルティングとプロ契約を交わしたバレーは、ブラジルの名門グレミオFBPAへレンタル移籍をする。 グレミオには若かりし頃のロナウジーニョや、エドゥアルド・ナシメント・コスタらが所属していた。

しか、グレミオでは出場機会に恵まれず、2001年にJ2の大宮アルディージャからオファーを受け、レンタル移籍を決断。

年齢が若く、クラブや代表での実績がないバレーの年俸は、300万円という破格の安さであった。

バレーのJリーグ入り後

バレーにとっては、初めての海外移籍となったが、大宮では当初、4人目の外国人選手という位置づけであったため、出場機会に恵まれなかった。

プロC契約ということで、金銭的にも苦しかったバレーは、サポーターに貰った自転車で練習場に通っていたという。

出番が訪れたのは、2001年5月23日の第13節水戸ホーリーホック戦であった。

この試合、ナイターの試合で雨が降っていたこともあり、観客が754人しか訪れていなかった。この試合でベンチ入りをしたバレーは、後半途中にジョルジーニョ・ルイスと交代しJリーグデビューを飾り、試合終了間際に初ゴールをマークする。

次の試合でも途中出場からゴールを決めると、第15節からスタメンを奪い、4試合連続となるゴールを決め、一躍注目を浴びるようになる。

その後は、マークがきつくなったこともあり、得点のペースが落ちたが、30試合で13ゴールを決め、潜在能力の高さを見せた。

大宮へのレンタル移籍を満了したバレーは、翌年、ヨーロッパへ渡る。デンマーク2部のヴェイレBKと契約を結び、4月に入団する。

6試合に出場し3得点を決めるも、出場機会に恵まれずにその年を持って退団。

その後は、ブラジルのボタフォゴSP、ウルグアイのワンダラーズに所属する。

2003年、再び大宮アルディージャへ入団し、背番号11を背負うと、キャリアハイとなる22ゴールをマークし得点ランキング3位となる。

翌年もエースとして得点を量産し、大宮のJ1昇格に大きく貢献した。

2005年は、J2のヴァンフォーレ甲府に移籍し、得点ランキング2位の21ゴールを記録。J1J2入れ替え戦では、柏レイソル戦と対戦。2戦目ではダブルハットトリックを決め、甲府のJ1昇格の立役者となった。バレーは、ヒーローインタビューで、大粒の涙を流し、多くのサポーターの胸を熱くさせた。

2006年も甲府に残留し、初のJ1の舞台ながらリーグ戦30試合で14ゴールという堂々とした成績を残す。

2007年からはガンバ大阪でプレー。自身初タイトルとなるナビスコ杯を制覇し、リーグでも20ゴールを決め、ベストイレブンに選出された。この年は、マグノ・アウベスや播戸竜二と2トップを組む機会が多かった。

2008年もガンバでプレーするも、シーズン途中にUAEのアル・アハリ・ドバイFCへ移籍。移籍金は、当時のレートで約6億5千万円だった。

その後は、UAE、カタールのクラブでプレーし、2013年に清水エスパルスへ加入。自身4つ目のJクラブへの入団となった。

エスパルスでは、ゴトビ監督から信頼を受け、レギュラーとして起用され続けるも、全盛期ほどの活躍を見せることはできず、リーグ戦4得点に終わるとシーズン途中の7月で退団。

その後は、中国リーグで1年半プレーした後に、2015年に再びヴァンフォーレ甲府に入団する。

甲府では、阿部拓馬と息の合ったプレーを見せ、シーズン途中の加入ながらリーグ戦8得点をマークし、甲府のJ1残留に貢献。

2016年は、ブラジルのGEグロリアと契約を結び、1シーズンプレーした後に、現役を引退した。

バレーの引退後と現在

バレーは現役引退後、代理人に転身。

ブラジル人選手を日本、カタール、UAEなど、自身が現役時代にプレーした各国のチームに紹介し、サポートするビジネスを展開している。

かつて、安価なジュースさえ買えなかった貧しい少年は、大好きなサッカーでビッグドリームを掴み、世界各国で活躍する偉大な選手となった。

シーズン途中での移籍、加入が多かったことからも、チームを立て直す救世主としての期待が大きかった選手であった。

甲府サポーターにとって、2005年の入れ替え戦でのバレーの大活躍は、今後も語り継がれていくだろう。