選手一覧はこちらをクリック
MF

第318回 ビスマルクってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

Jリーグ創世記を代表する司令塔の一人であるビスマルク。

ヴェルディ川崎、鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸でプレーし、高度なテクニックと広い視野で組み立ての中心となり、数々のタイトルの獲得に貢献。ビスマルクは「優勝請負人」と呼ばれた。

共に創世記のヴェルディの中盤を彩ったラモス瑠偉との連係プレーは見るものを魅了した。Jリーグ開幕年に魅せた、ラモスとのリフティングで相手を抜き去ってゴールに繋げたプレーはあまりにも有名だ。

敬虔なクリスチャンであり、ゴールを決めた後には、神に感謝すべく、お祈りパフォーマンスをすることで有名となったが、ビスマルクのこのゴールセレブレーションは、全国に広く知れ渡り、多くのサッカー少年がこぞって真似をすることとなった。

ビスマルクのJリーグ入り前

ビスマルクは1969年にブラジルのリオデジャネイロ州サンゴンサロに生まれた。

名門ヴァスコ・ダ・ガマの育成部門で優秀な成績を残し、1987シーズンにはトップデビューを果たした。

1987年にワールドユースブラジル代表に選出される。鹿島アントラーズでプレーしたアルシンド、アンドレ・クルスらと共にプレーしたが、決勝トーナメント1回戦でユーゴスラビアに1-2で敗れている。

1989年にも、ワールドユースの代表として活躍し、レオナルドらとともにプレー。この大会でビスマルクは司令塔として活躍し3得点を決め、ゴールデンボール賞を獲得。ブラジルの3位入賞に貢献した。

ヴァスコ・ダ・ガマでは1988シーズンから、レギュラーとしてプレー。このシーズン、ビスマルクは、ロマーリオに多くのアシストを記録し、司令塔の座を不動のものとした。

1990年のアメリカワールドカップでは、国内リーグでの活躍が評価されメンバー入りを果たした。しかし、出場機会はなく、ブラジルも決勝トーナメント1回戦で敗れている。

その後もヴァスコ・ダ・ガマでプレーを続けたビスマルクの元には、サンパウロを始め、ヨーロッパのチームなど多くのオファーが届く。

Jリーグのヴェルディ川崎もオファーを出すも、Jリーグはまだ開幕したばかりであり、移籍は実現しないであろうと思われたが、ビスマルクは意外にも日本行きを決断することになる。

ビスマルクのJリーグ入り後


1998カルビーJリーグチップス■レギュラーカード■041/ビスマルク/鹿島

ビスマルクは、ヴェルディ川崎と契約を交わし、1993年7月31日の2ndステージ第2節ガンバ大阪戦でJリーグデビューを飾る。

当時のヴェルディは、中盤は司令塔にラモス瑠偉、右サイドに北澤豪、左サイドをビスマルクが務め、FWに三浦知良と武田修宏という超攻撃的布陣で無類の強さを誇った。

第4節ジェフユナイテッド市原戦では試合終了間際にJリーグ初ゴールを挙げ、チームを勝利に導く。ビスマルクの加入で、活気づいたヴェルディはその勢いのままステージ優勝を果たし、チャンピオンシップでも年間優勝を飾った。この年のナビスコカップで、ビスマルクは大会MVPを受賞している。

1994年も、3月12日の第1節ベルマーレ平塚戦で2ゴールを決めると、以降も抜群の存在感で先発フル出場を続け、2ndステージ優勝と年間優勝に大きく貢献し、自身もベストイレブンに選出された。

1995年は、怪我で欠場したラモスの代わりに司令塔を務める機会も増え、2年連続でベストイレブンを受賞。しかし1996年は、ヴェルディ川崎の成績が振るわず、チームは新しい外国人選手を獲得するために、ビスマルクを放出する。

1997年に鹿島アントラーズへ移籍。移籍の決め手となったのは、神様ジーコからの誘いであったと後年語っている。

鹿島では、背番号10を背負い、中盤で広くプレーし、万能型の選手として活躍。絶妙なスルーパスだけでなく、フリーキックで貴重なゴールもマークした。

鹿島アントラーズには5シーズン在籍し、3度の年間チャンピオン、その他にも多くのタイトルをもたらし、黄金時代の立役者となった。

2001年に鹿島を退団後は、ブラジルに帰国しフルミネンセやゴイアスでプレーするも、2003年にヴィッセル神戸からオファーを受け再び来日。

神戸でも背番号10を背負い、ヴェルディ時代のチームメイトである三浦知良や三浦泰年菅原智とプレーをするも以前のような活躍を見せることはなくこのシーズン限りで神戸を退団し、現役を引退した。

ビスマルクの引退後と現在

ビスマルクは現役引退後、代理人に転身した。

現役時代のスマートな体系からはややふくよかになったが、アレックス・ミネイロなど多くのブラジル人選手の日本行を手掛けている。

若かりし頃のビスマルクは、ブラジからスペインへの移籍を考えており、そこが難しければサンパウロへの移籍を考えていたという。日本への移籍は3番目の選択肢だったが、クリスチャンであるビスマルクは、神に祈り主の志は何か教えを乞い、日本行を決断したと語っている。

ビスマルクがゴールを決めると、多くの子供たちが、彼のようにピッチに膝眞づいて祈りを捧げるゴールセレブレーションを真似をしたが、ビスマルクはそれがとても嬉しかったと語っている。

もし若かりし頃のビスマルクが、Jリーグではなくスペインリーグへの移籍を決断していれば違った未来があったのかもしれない。ビスマルク自身もブラジル代表に返り咲き、輝かしい栄冠を獲得していたのかもしれない。

しかし、彼は日本行きを選択した。まだサッカー未開の地である日本でプレーを選択することを選んだのだ。才能ある若手選手が、アジアの島国でプレーすることを選択するというのは、一種の賭けであり、挑戦でもあったのだと思う。

1+