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第315回 澤登正朗ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

ミスターエスパルス・澤登正朗。

確かなテクニックと、長短の正確なパスで局面を打開する司令塔。

東海第一高校時代は、2年時に全国制覇を経験し、3年時はキャプテンとして全国準優勝を成し遂げた。

東海大学時代はバルセロナオリンピック出場を目指す日本代表のキャプテンとして、オリンピック予選に出場。

プロ入り後は清水エスパルス一筋でプレー。Jリーグ初代新人王を獲得し、ラモス瑠偉からも後継者として名を挙げられるなど、大きな注目を集めた。

数々の名場面を演出した澤登正朗であるが、圧巻だったのは1999年12月11日のジュビロ磐田と激闘を繰り広げたチャンピオンシップ第2戦で見せた直接フリーキックではないだろうか。

ゴールから25Mの距離から澤登の放ったシュートは綺麗な弧を描き、ファーサイドのゴール右隅に吸い込まれた。

その瞬間、満員の大衆は息を飲み、一瞬の静寂の後、瞬く間に大きな歓声がスタジアムを包み込んだ。

澤登正朗のJリーグ入り前

澤登は、1970年に静岡県富士見市に生まれた。

5歳でボールを蹴りはじめ、地元の富士宮市立上野小学校に進み、サッカーチームに入り練習に励んだ。

東海大第一中学校に入学し、3年時は主将を務め、中学総合体育大会の県中部大会で初優勝に貢献。静岡市選抜に選出される。中学時代、澤登の中学にブラジルから帰国していた三浦知良が練習のために訪れており、練習試合でカズをマークするという経験をした。

高校は、東海大第一高校(現・東海大翔洋高)に進学。

1年時からレギュラーとして活躍し、2年時には、FWアデミール・サントス(現三渡洲アデミール)やDF大嶽直人らと共に全国高校サッカー選手権で全国制覇を成し遂げた。 3年時は準々決勝でMF磯貝洋光本田泰人、FW森山泰行、DF飯島寿久を擁する帝京高校と対戦し、激闘の末にPK戦で勝利しを収めた。しかし、決勝戦では、永井秀樹や原田武男を擁する国見高校と対戦し、接戦の末に敗れて準優勝となった。

高校卒業後、東海大学へ進学。 澤登はここでも1年時からレギュラーを奪い、礒貝らと共に大学選手権を制した。

大学時代、キャプテンシーと、世代トップクラスの技術を評価され、バルセロナ五輪を目指す日本代表チームのキャプテンに指名される。

永井秀樹、名波浩、藤吉信次らとともにオリンピック予選を戦い、最終予選に進出するも、本大会への出場は叶わなかった。

1992年、澤登は輝かしい実績を残し、地元のJリーグチームである清水エスパルスへ入団する。

澤登正朗のJリーグ入り後


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アマチュア時代から大きな注目を集めていた澤登は、1993年5月16日のJリーグ開幕戦である横浜フリューゲルス戦に背番号10を背負い、先発出場を果たす。

澤登は、エスパルスの顔として大車輪の活躍をし、長谷川健太大榎克己堀池巧三浦泰年向島建真田雅則、内藤直樹らと共に、清水の草創期メンバーとしてチームを牽引した。

1993年、エスパルスは1年を通して安定した成績を残し、澤登はJリーグの初代新人王に輝いた。

日本代表にも順当に選出され、1993年4月8日のタイ戦でデビュー。1994年アメリカワールドカップのアジア予選のメンバーにも選出され、1993年5月7日のUAE戦では、引き分けに持ち込むミドルシュートを決めて、代表初ゴールをマークした。

その後もラモス瑠偉や、福田正博のバックアップメンバーとして活躍。ドーハの悲劇も、ピッチに立つことはなかったが、ベンチで経験している。 エスパルスでも、その後も活躍は続き、ナビスコ杯では1996年シーズンに初優勝を果たす。

1998年シーズンは、1stステージ第12節のヴィッセル神戸戦でハットトリックを達成し、自身3度目の年間2ケタゴールを記録した。1999年シーズンは自身初のステージ優勝を果たす。

ジュビロ磐田と死闘を演じたチャンピオンシップでは、第2戦で、劣勢の中で、フリーキックを直接突き刺す。このゴールは、後にアジアサッカー連盟(AFC)月間最優秀ゴール賞に選ばれた。 試合はPK戦までもつれるも、この試合で大活躍をしたサントス、ファビーニョが外し、ジュビロが優勝を飾った。澤登はこの年、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。

2000年には、エスパルス初の国際タイトルであるアジアカップウィナーズ杯を獲得。

2001年からは先発フル出場の機会は減ったものの、司令塔だけでなく、セカンドトップの位置としてもプレー。

2002年7月27日東京ヴェルディ戦にて、リーグ300試合出場を達成。

2005年3月5日、開幕戦のサンフレッチェ広島戦では、J1リーグ13年連続得点を記録した。

2005年シーズンが終了した11月23日、澤登は現役引退を表明した。

澤登正朗の引退後と現在

澤登は現役引退後、解説者として活躍。

その後、エスパルスのフロント入りも噂されたが、進んだ道は大学サッカーの指導者だった。現在は常葉大学浜松キャンパスサッカー部の監督を務めている。

経歴だけ見ると、これ以上ないほどのエリートコースを歩んでいるように見える澤登だが、1997年には清水エスパルスの運営会社であるエスラップ・コミュニケーションズの経営危機が表面化し、チーム消滅の危機を経験している。また。2003年シーズンには監督の構想から外れ、試合に出場できない日々を送っている。澤登は後年、「この頃が一番苦しかった」と語っている。

多くのサポーターに愛され、現役生活のすべてをチームに注いだ澤登正朗。 清水のバンディエラが、今度は指揮官として現場に戻ってくることを、多くのサポーターは望んでいることだろう。

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