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GK

第291回 高木義成ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

安定したセービングと的確なコーチングでチームをまとめるGK高木義成。

東京ヴェルディではプロ3年目にレギュラーを掴むと、その後は不動の守護神としてヴェルディの最後の砦となった。

2006年にはGKながらフリーキックによるゴールもマーク。推定距離90メートルクラスのこのゴールは当時のJリーグ最長距離ゴールとなった。

練習中から大きな声でチームメイトを盛り上げ、ムードメーカーとしても知られる高木義成。名古屋では楢崎正剛に次ぐ2ndGKの位置づけだったが、名古屋にとって高木の存在感は無くてはならないものだった。

高木義成のJリーグ入り前

高木義成は1979年に東京都江戸川区に生まれた。小学校2年生の時にサッカーを始め、身体的に恵まれていた為、3年生からGKに転向する。

江戸川区立南葛西第二中学校入学後、江戸川区を拠点とするクラブチーム「FC85オールスターズ」に所属する。 中学3年時に柏レイソルユースのセレクションに合格するが、柏ユースには進まずに修徳高等学校へ進学。

修徳高等学校では3年時に国体でベスト8に進出した。高校卒業後、国士館大学へ進学。

1年時から正GKとして活躍し、関東大学サッカーリーグ、全日本大学サッカー選手権大会、総理大臣杯全日本大学サッカー トーナメント優勝に貢献。2年時にはユニバーシアード日本代表に選出された。またJFLでリーグ戦4試合に出場している。

高木が2年の時にヴェルディからオファーを受ける。高木は迷わずに大学を中退しプロ入りを決意する。

高木義成のJリーグ入り後


Jカード2008■レギュラーカード■081/高木義成/東京V ≪Jカードオフィシャルトレーディング≫

ヴェルディに入団した高木はプロ1年目ながら背番号1を背負うが、本並健治菊池新吉という日本代表経験のあるGKの牙城は崩せず入団2年間は出場機会は回ってこなかった。

プロ3年目に本並と菊池が引退した為、正GKを務める。2002年8月10日1stステージ第14節サンフレッチェ広島戦がJリーグデビューとなった。この年はリーグ戦17試合に出場する。

2003年からは不動の正GKを務め、2004年には連覇を狙うジュビロ磐田を下し天皇杯を制覇。ヴェルディで初のタイトルを獲得した。

しかし2005年は攻守の歯車が噛み合わず大量失点の試合が続くとヴェルディはJ2へ降格。主力選手が続々と退団していく中、高木は残留を表明した。

2006年には7月12日のJ2ベガルタ仙台戦(ユアスタ)の後半19分、自陣ゴール付近からのフリーキックがそのまま相手方ゴールに入り、Jリーグ公式戦として4人目のGKのゴールを記録。推定90メートル級のこのゴールはJリーグ史上最長距離でのゴールとなった。

2007年はシーズン序盤に7連敗を喫するなどしたが終盤に巻き返し、J1昇格を達成する。しかし2008年に元日本代表の土肥洋一が加入するとポジションを奪われ控えに回ることになった。ヴェルディはこの年、1年でJ2へ降格する。

2010年に名古屋グランパスへ移籍。

名古屋には楢崎正剛という絶対的守護神がいた為、ベンチを温める試合が続いた。名古屋入団2年目に、怪我で離脱した楢崎の代役としてリーグ戦11試合に出場。しかしその後は出番に恵まれなかった。

2015年のナビスコ杯準々決勝ガンバ大阪戦では2-2から延長戦に入っても膠着状態が続く中、終了直前に楢崎に代わって出場。試合はPK戦になり、5人目まで両チームが決めサドンデスへ突入。 そして迎えたGK対決となった11人目、先攻の高木がクロスバーに当てて失敗。後攻の藤ヶ谷陽介がゴール右隅に決めて、ガンバ大阪に敗北した。名古屋グランパスの西野監督は「拮抗している中で最後に変化をつける形で高木を使うという考えは最初からあった」と試合後に述べている。

2016年からはJ2のFC岐阜へ移籍。

入団1年目は正GKとしてリーグ戦31試合に出場。しかし2017年はスペイン人GKビクトルの加入により出番はなく、このシーズン限りで現役を引退した。

高木義成の引退後と現在

高木義成は引退後、サッカーショップKAMOでおなじみの加茂商事株式会社に勤めている。

高木は現役時代、2001年からプロサッカー選手会に携わり2005年から監事、2009年からは副会長を務め選手の地位向上に努めるなどサッカー界に尽力した人物でもある。

ヴェルディ時代にはボランティア活動に積極的に参加。試合では「ヨシナリシート」を創設し、自腹で全ホームゲームのチケットを購入し児童福祉施設等の子供達を招待する等、社会貢献への意識を強く持った選手でもあった。

名古屋では2ndGKとして長い時間を過ごしたが、楢崎正剛の後ろに高木義成が控えているというのは名古屋にとっても安心材料であっただろう。練習から率先してチームを盛り上げたムードメーカーは記録以上の功績をチームに残している。