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第278回 小笠原満男ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

Jリーグ屈指のゲームメーカーとして21年間現役を貫いた小笠原満男。鹿島アントラーズが常勝軍団として君臨した理由はこの男を抜きに語ることは出来ない。

高い個人技術、ボールキープ力、そしてゲームを動かしていく展開力に優れた小笠原は鹿島アントラーズで数多くのタイトルを奪取。

若かりし頃は司令塔として攻撃を牽引し記憶に残るフリーキックで何度もゴールネットを揺らした。ボランチに転向してからは身体の強さを生かした献身的な守備で中盤を支え、勝利を手にするために卓越した戦術眼でゲームをコントロールした。

日本代表としても2度のワールドカップ出場を含む国際Aマッチ55試合に出場し7ゴールを記録。

個人としても6度のJリーグベストイレブン、Jリーグ最優秀選手賞、天皇杯最優秀選手賞、ナビスコカップ最優秀選手賞を獲得。 寡黙なファンタジスタは鹿島アントラーズの絶対的象徴となるだけなく日本サッカー史に名を遺す偉大な選手となった。

小笠原満男のJリーグ入り前

小笠原は1979年に岩手県盛岡市に生まれた。地元の社会人サッカーチームでプレーしていた父親の影響もあってか物心ついたときからサッカーボールを蹴っていたという。

小学校3年生の時に太田東サッカー少年団に入団する。6年の時には全日本少年サッカー大会に主将としてチームを率いて出場した。

その後大宮中学校へ入学。1994年中学3年の時、U-16日本代表に選ばれ小野伸二や稲本潤一、高原直泰らとの出会いを果たす。「東北の星」としてその才能は注目を集めた。1995年のワールドユース日本代表には予備登録メンバーとして登録された。

中学卒業後は岩手県立大船渡高等学校へ進学。高校3年時に全国高等学校サッカー選手権大会に出場。ベスト16の原動力となり、大会最優秀選手権に選ばれるなど活躍をみせる。

1998年、鹿島アントラーズに加入。同期には曽ヶ端準や本山雅志、中田浩二がいる。

小笠原満男のJリーグ入り後


Jカード2009■レギュラーカード■019/小笠原満男/鹿島 ≪Jリーグオフィシャルトレーディングカード≫

鹿島に入団した年の1998年4月15日1stステージ第6節ガンバ大阪戦でJリーグ初出場。この年はリーグ戦5試合の出場に留まるも1999年からレギュラーに定着する。5月5日 1stステージ第11節ジュビロ磐田戦でヘディングでJリーグ初ゴールを記録。

1999年に行われたナイジェリア・ワールドユース(現:U-20ワールドカップ)に出場。小笠原は小野伸二、遠藤保仁と中盤でトライアングルを形成し、準優勝の原動力となった。

2000年からはビスマルクとともに司令塔として鹿島の攻撃を牽引。ナビスコカップ優勝、Jリーグ優勝、天皇杯優勝と、鹿島のJリーグ史上初の3冠獲得達成に貢献した。個人としてもチャンピオンシップMVPを獲得。

2001年には背番号を17から8に変更。2ndステージで優勝を飾り、ジュビロ磐田と臨んだチャンピオンシップでは第2戦で延長戦10分にVゴールとなる直接FKを決めてリーグ連覇に貢献。小笠原は2年連続でチャンピオンシップMVPを獲得した。

2002年には日本代表として3月21日の対ウクライナ戦で代表デビューを飾る。その後もコンスタントに召集され2002年日韓ワールドカップメンバーに選出。しかし本大会ではチュニジア戦のラスト6分間に出場するに留まった。

その後も鹿島のキャプテンとしてチームを支え、日本代表としてもジーコ監督から創造性溢れるプレーが評価されレギュラーとして起用される。2005年のアジア最終予選のバーレーン戦では中村俊輔のダイレクトパスを受け、相手DFをかわしてミドルシュートを決めて勝利。ワールドカップ進出に大きく貢献した。

2006年2月18日の国際親善試合フィンランド戦ではハーフウエーライン手前から推定60メートルクラスの超ロングシュートを決める。小笠原の視野の広さと独創性が生んだゴールとなった。この年、小笠原は2006年ドイツワールドカップ日本代表に選出。クロアチア戦とブラジル戦で先発出場をするがグループリーグ突破とはならなかった。

ワールドカップ後、セリエアAのFCメッシーナへ1シーズン(2006-07)のレンタル移籍を発表。エンポリ戦で初ゴールを決めるもリーグ戦6試合の出場に留まった。小笠原は出場機会に恵まれなかったがメッシーナでの一年間はボランチとしての守備力を磨き、人間としても成長することができたと振り返っている。

2007年レンタル移籍から鹿島へ復帰。背番号40を背負い、チームの6シーズンぶりのリーグ優勝に貢献。2008年は膝の怪我に苦しみながらもリーグ戦24試合に出場する。

2009年シーズンはJリーグMVPに輝く活躍を見せ、チームを史上初のリーグ3連覇へと導いた。

その後も不動のボランチとして鹿島を支える。2014年8月23日の清水エスパルス戦では、J1新記録となるリーグ戦16シーズン連続得点を達成する。

2018年には出場機会に恵まれなかったがACLで初優勝を飾り、12月に現役引退を表明。

小笠原はJリーグ通算525試合69得点の成績を残した。

小笠原満男の引退後と現在

小笠原満男は引退後、2019年より鹿島アントラーズのアカデミーアドバイザーに就任している。

自分がプロ生活の大半を過ごしたクラブで育成年代の選手たちにこれまで培ったものを還元していくことを小笠原は選択した。鹿島の下部組織で学ぶ子供たちからすれば技術面でもメンタル面でもこれ以上のお手本は存在しないだろう。

2011年に起きた東日本大震災において小笠原の故郷である岩手県を含め、東北は甚大な被害を受けた。小笠原は発起人として「東北人魂を持つJ選手の会」を立ち上げ、Jリーグやサッカー協会などと連携し、全国で東北復興に向けたチャリティー活動を行ない続けるなど故郷を愛する気持ちも忘れない。 大船渡、岩手、東北に恩返ししていくというのは常に考えていきたいと小笠原は語っている。

小笠原は現役時代、たとえ出場機会が減ろうともベンチ入りメンバーに入らずともプロ生活の最後まで練習を休まなかった。その紳士にサッカーに向き合う姿勢は鹿島アントラーズの選手はもちろん、多くのプロ選手の鑑となった。

現役晩年、これまで誰よりも勝利を求めて試合に挑んでいた小笠原が今後の鹿島の為に若手にチャンスを与えてほしいと自分から身を引いた。鹿島が好きだから、サッカーで生きている真のプロフェッショナルだからこそ下せた決断だった。 小笠原満男は今後どのような生き方をしていくのだろうか。

現役を引退はしたが小笠原の生き方は変わらないと思う。常勝鹿島を支えた最大の功労者は今後も愛する鹿島を裏方から支えていく。


FOOTBALL PEOPLE 小笠原満男 特集号 (ぴあMOOK)