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第273回 佐藤由紀彦ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

端正な顔立ちと華麗なプレースタイルから、プリンスと呼ばれた男、佐藤由紀彦。
 
高校時代から超高校級プレーヤーとして注目されJリーグでも数多くのチームを渡り歩きながらも、抜群の存在感を示した。
 
右サイドからの絶妙なクロスは正確無比であり、数多くのチャンスを演出。2001年にはトルシエ監督により日本代表候補に選出された。
 
2009年からはJFLのヴィファーレン長崎で背番号10を背負いJリーグ昇格に貢献。キャプテンとして、象徴として若いチームを牽引した。

佐藤由紀彦のJリーグ入り前

佐藤は1976年、静岡県富士市で洋食屋を営む両親のもとに生まれた。
 
富士市立富士第一小学校へ入学。1年生になるとすぐにサッカーをはじめ、富士JFCへ入団。6年生の時には全日本少年サッカー大会優秀選手に選ばれるなど持ち前の運動神経で頭角を現した。
 
東海大学第一中学校卒業後、清水市立商業高校へ進学。
 
柔らかいボールタッチと卓越したセンスで1年から試合に出場。1993年には高松宮杯、1994年には同じく高松宮杯、第72回全国高等学校サッカー選手権大会で全国制覇を経験。国体でも連覇を飾るなど輝かしい実績を残した。高松宮杯では2年連続して佐藤のシュートが決勝点になるなど、ここぞという時に活躍する勝負強さも兼ね備えていた。
 
1995年、佐藤は数多いオファーの中から清水エスパルスへ入団する。

佐藤由紀彦のJリーグ入り後


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超高校級のプレーヤーとして地元のチームである清水エスパルスに鳴り物入りで入団した佐藤は、メディアに大きく注目され期待されていた。
 
だが、同じMFに絶対的存在である澤登正朗がいたことやサポーターからの過度な期待によりプレッシャーに押し潰され持ち味を発揮できず、ベンチ入りさえ出来ない苦しい時期を過ごした。
 
1998年、現状を打破しようとモンテディオ山形にレンタル移籍を果たす。
 
石崎信弘監督との出会いで佐藤は劇的に変化を遂げ、攻撃の中心としてトップ下に据えられたことで失いかけていた持ち前のプレースタイルが蘇った。シーズン中盤まで首位を独走した原動力となり佐藤はこの年のJFL新人王、ベストイレブンのダブル受賞を果たした。
 
1999年FC東京にレンタル移籍。
 
サポーターの熱意とクラブのJ1に昇格したいという思いに惹かれての移籍となった。タテへの突破力とクロスの精度を大熊清監督に評価され右サイドのアタッカーとしてプレー。
J1昇格がかかった大一番1999年J2第36節大分トリニータ戦では佐藤のアシストで加賀見健介が決勝点を挙げるという活躍を見せる。この事が決め手となり翌年もFC東京でプレーすることを決意。完全移籍を果たした。
 
2001年、加入したばかりのケリーに一時ポジションを奪われたがケリーがトップ下、佐藤が右サイドに入る形で先発に復帰を果たすと長澤徹コーチの助言を受けオフ・ザ・ボールの動きが大きく向上する。この年フィリップ・トルシエ監督の目に留まり日本代表候補に初選出され、Jリーグの優秀選手賞にも選ばれた。
 
2003年、多くのオファーを受ける中、高い志を持った横浜Fマリノスに意気込みを感じレンタル移籍を決断。
 
マリノスでは岡田武史監督の下でレギュラーに定着。J1 1stステージ、2ndセカンドステージの完全制覇に貢献、完全移籍を果たすが翌年からは控えに回ることも多くなった。
 
2005年古巣である清水エスパルスへ移籍。
 
移籍後すぐ負傷した影響もあってかなかなか出場機会に恵まれず2006年柏レイソルにレンタル移籍。柏では背番号42と大きな番号を背負う。アウトサイドからの絶妙なクロスでアシストを量産し、FC東京在籍時以来2度目となるチームのJ1昇格に貢献した。
 
2008年ベガルタ仙台へ移籍。
 
J1昇格を目指していたが入れ替え戦に敗れ敗退。佐藤との契約更新は行われず1年でチームを去ることとなった。
 
その後、Jリーグ合同トライアウト参加を経て、2009年Jリーグ準加盟クラブであるJFLのV・ファーレン長崎へ加入する。翌年には主将を任されチームを牽引。2013年に念願叶い、J2昇格を果たし佐藤自身も5年ぶりにJリーグでプレーをするに至った。
 
2014年惜しまれつつも現役引退。20年の選手生活に幕を下ろした。

佐藤由紀彦の引退後と現在

佐藤は引退後、古巣であるFC東京で普及コーチに就任している。
 
20年に及ぶプロ生活を送った佐藤由紀彦。プロに入る前から注目を集め、将来の日本代表として騒がれた。プロ入り後は挫折と成功を繰り返し、プリンスの愛称とは程遠い泥臭いサッカー人生を歩んだ。
 
佐藤の代名詞となった右サイドからの華麗なクロスはセンスで培われたものではない。何度も何度も繰り返し蹴り上げられ、熱い情熱が蓄積された魂の放物線なのだ。
 
紆余屈折しながらも全力でプロ生活を駆け抜けた佐藤由紀彦だから若い世代へ響く言葉がある。熱い男、佐藤由紀彦のセカンドキャリアに期待したい。