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第270回 大岩剛ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

的確なカバーリングとライン統率はJリーグ屈指のDF大岩剛。
 
名古屋グランパス時代はトーレスとセンターバックを組み、右の飯島寿久、左の小川誠一と不動のDFラインを形成し2度の天皇杯優勝を経験した。
 
2000年に日本代表に選出。移籍したジュビロ磐田では2001年にJリーグ最少失点で優勝に貢献。大岩はベストイレブンに選出された。
 
2003年からは鹿島アントラーズでプレー。トニーニョ・セレーゾ、オリヴェイラ両監督からの信頼も厚く2007年からのリーグ3連覇に貢献。
 
現役最終年の2010年はJ1最年長選手として38歳ながら貴重なバックアッパーとしてチームを支えた。

大岩剛のJリーグ入り前

大岩剛は1972年に静岡県静岡市に生まれた。
 
6歳の時にサッカーと出会い、三保第二小学校で本格的に始め、3年生の時に地元の選抜チームである清水FCに所属した。
 
清水第五中学校進学後、2年生の時に東海選抜メンバーとして全国選抜中学生大会に出場を経験。
 
高校は名門である清水商業高校へ進学。同期には薩川了洋、山田隆裕、名波浩、大石尚哉がいた。大岩は左サイドバックのポジションを掴み、1年生の時に全国高校サッカー選手権で優勝。2年、3年でインターハイ、全日本ユース連覇を達成した。
 
高校卒業後、大岩は筑波大学へ進学。1年時からレギュラーとして活躍し2年時の時に総理大臣杯で優勝しリーグ戦も3連覇を達成するなど筑波大学の黄金期を支えた。大岩はU20日本代表にも選出されている。
 
大学卒業後、名古屋グランパスエイトに入団する。

大岩剛のJリーグ入り後


1998カルビーJリーグチップス■レギュラーカード■051/大岩剛/名古屋
名古屋入団後は即レギュラーとして抜擢。1995年3月18日1stステージ第1節ガンバ大阪戦でJリーグデビューを飾った。
 
当時のアーセン・ベンゲル監督からはサイドバックとしてはスピードに欠けるものの、足元の技術や視野の広さを高く評価されセンターバックにコンバートされる。
 
以降、大岩は持ち前の読みの鋭さとカバーリングの正確さを武器にセンターバックとして活躍。エレガントなDFが持ち味のトーレスと不動のコンビを組んだ。名古屋では1995年、1999年と2度の天皇杯制覇を経験した。
 
2000年にはトルシエ監督により念願の日本代表に初選出。2月5日のメキシコ戦で代表デビューを飾るとその年のフランス戦、スロバキア戦の3試合に出場した。
 
まさに順風満帆に思われた矢先、名古屋のジョアン・カルロス監督との確執が表面化。主力選手だった平野孝望月重良と共にシーズン途中にチームを去ることになった。
 
2000年9月にジュビロ磐田に加入。この年は1試合の出場に留まるも、2001年にはセンターバックとしてジュビロ磐田の年間優勝に貢献。Jリーグ最少失点での優勝で大岩はベストイレブンにも選出された。2002年にも2年連続での優勝を経験。
 
2003年に鹿島アントラーズへ移籍。
 
秋田豊とセンターバックを組み、堅守鹿島を支える。2005年頃からは岩政大樹との2枚岩を形成。2007年頃からは出場機会を減らすものの、貴重なバックアッパーとして鹿島を支えリーグ戦3連覇に貢献した。2007年に就任したオズワルト・オリヴェイラ監督からは「サッカーのお手本のような選手」であると絶大な信頼を寄せられた。
 
2010年、リーグ戦の出場が6試合に留まりこの年をもって現役を引退。

大岩剛の引退後と現在

大岩剛は引退後、2011年から鹿島アントラーズのコーチに就任。
 
2017年5月に石井正忠監督の解任を受けて鹿島の監督に就任した。監督として2018年のアジアチャンピオンズリーグ制覇を達成。大岩はこの年のアジア最優秀監督賞を受賞している。
 
鹿島アントラーズは、2018年で象徴であった小笠原満男が引退、西大伍、昌子源が移籍し、2019年には鈴木優磨、安部裕葵、安西幸輝が海外に移籍するなどチーム変化の過渡期を迎えている。
 
2018年にアジアを制したとはいえ、常勝鹿島が国内タイトルから2シーズン遠ざかっているのは少し寂しさがある。
 
期待の若手がチームを去ったとはいえ以前選手層は厚く、法政大学から期待のFW上田綺世が加入するなど明るい材料もある。
 
鹿島黄金期を支えた大岩剛監督の元、久しぶりとなる国内タイトル奪取に期待したい。