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第258回 伊藤宏樹ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

13年間の現役生活を川崎フロンターレ一筋でプレーしたDF伊藤宏樹。
 
出場試合数はリーグ戦だけで390試合。カップ戦や天皇杯を含めると実に475試合に及ぶ。
 
フロンターレの象徴である中村憲剛は伊藤宏樹について「ミスターフロンターレのような存在」であると語る。
 
現在は常に優勝候補の一角として名前が挙がる川崎だが、伊藤宏樹はそれまでの辛く苦しいチーム状況を支えてきた功労者の1人だ。

伊藤宏樹のJリーグ入り前

伊藤は1978年、愛媛県新居浜市に生まれた。友達の影響でサッカーを始めた。
 
新居浜市立金子小学校の2学年上に福西崇史がいる。
 
新居浜市立川東中学校、新居浜工業高校を経て立命館大学・経済学部へ進学。大学の3学年下に松井大輔がいる。伊藤がプロを目指したのはこの頃だったと言う。1年時からレギュラーとして活躍し。
 
大学4年時には関西大学リーグで優勝を経験。伊藤はベストイレブンに選出される活躍を見せた。
 
大学卒業後、2001年にJ2であった川崎フロンターレへ入団する。

伊藤宏樹のJリーグ入り後


フロンターレでは加入初年度の開幕戦からレギュラーに定着。第16節の水戸ホーリーホック戦ではJリーグ初ゴールをマーク。最終戦こそ警告累積で出場できなかったが、それまですべての試合に出場し続けた。翌年もリーグ戦44試合全てに出場を果たすなど早くから守備の要として活躍した。
 
2004年、寺田周平、箕輪義信と組んだ3バックは「川崎山脈」と呼ばれた。35試合に出場しJ2優勝にも大きく貢献した。
 
2005年、伊藤はキャプテンに就任するとリーダーシップを発揮しチームを牽引。正確なフィードとクレバーなDFでフロンターレの堅守を支えた。
 
2006年、フロンターレはJ1昇格からわずか2年でリーグ2位となるなど躍進。2007年にはACL(アジア・チャンピオンズリーグ)初参戦を果たし、ヤマザキナビスコカップで準優勝を果たした。伊藤はセンターバックだけでなく2008年からは左サイドバックを経験しプレーの幅を広げた。
 
その後も安定したパフォーマンスを見せ、コンスタントに出場を続けるが2013年、12月に引退を発表。
 
その後行われたJ1最終節、横浜Fマリノス戦では54分にゴールを決めたレナトに代わり87分に途中出場し無失点に貢献し勝利を納めた。この勝利で横浜の優勝を阻止し、順位は3位に上がり翌年のACL出場を決めた。
 
11年間共に川崎でプレーしてきた親友でもある中村憲剛は引退の餞に天皇杯でのタイトル獲得を切望していたが、伊藤は準々決勝に先発し奮戦したものの敗戦。タイトル獲得には至らず、伊藤は13年の選手生活に幕を下ろした。

伊藤宏樹の引退後と現在

伊藤宏樹は引退後、川崎フロンターレのクラブスタッフに就任。
 
2016年からはフロンターレのスカウトとして活躍している。
 
伊藤宏樹は現役時代、1対1の強さと安定したラインコントロールでフロンターレの堅守を支えた。
 
伊藤はファールが少なく非常にスマートなDFをする選手であり、クリーンな選手であった事は広く知られている。
 
J2時代からフロンターレを支え、J1では優勝争いを演じるも遂には13年間の現役生活の中でタイトル獲得は叶わなかった。しかし伊藤宏樹が戦い抜いた475試合の蓄積が現在のフロンターレの躍進に繋がっているのだと感じる。
 
フロンターレのレジェンドはクラブスタッフとしてチームの勝利を今後も支えていく。