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FW

第242回 清水範久ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

スピードを生かしたフリーランで効果的なスペースを作り出すアタッカー清水範久。
 
Jリーグトップレベルの俊足を生かしたドリブルで攻撃にアクセントを作り、時に貴重なゴールを決めた。
 
所属したジュビロ磐田や横浜Fマリノスでは豊富や運動量で前線からの献身的なチェイスでもチームを支えた。
 
リーグ戦通算211試合に出場し20ゴールと、FWの選手としては実ゴール数は少ないが、清水範久が絡んだプレーからは多くのゴールが生まれた。
 
スピードスター、清水範久に迫る。

清水範久のJリーグ入り前

清水範久は1976年に群馬県群馬郡榛名町(高崎市)に生まれた。
 
榛名町立第一小学校に入学。サッカー部への入部がきっかけでサッカーを始めた。
 
榛名町立榛名中学校へ進学。強豪校ではなかったが清水のプレーが県内サッカー協会の関係者の目に留まりトレセンで県選抜に選出。これにより県内で清水の知名度が上がる事となる。
 
卒業後、群馬の強豪である群馬県立前橋商業高等学校に入学。レギュラーとして活躍。ライバル校の前橋育英高等学校には松田直樹がいた。
 
持ち前のスピード溢れるプレーがスカウトの目に留まり、1995年にジュビロ磐田に入団。同期には名波浩や福西崇史、山西尊裕がおり、とりわけ名波の事は同期ながら尊敬するほど慕っていたという。

清水範久のJリーグ入り後

ジュビロ入団後、2年間は出場機会に恵まれなかったが、3年目の1997年から出場の機会を得るとスピードを生かしたチャンスメーカーとして活躍。同年のチャンピオンシップ第1戦ではVゴールを決めジュビロ磐田初優勝に大きく貢献。
 
2000年シーズン途中にコンサドーレ札幌にレンタル移籍を果たし2001年に磐田へ復帰。高原直泰の移籍後は中山雅史と2トップを組んだ。
 
10月17日、2ndステージ第9節FC東京戦ではハットトリックを達成。キャリアハイとなるリーグ戦5得点を挙げた。
 
同年横浜F・マリノスのオファーを受けて移籍。
 
2002年シーズンは開幕戦からブラジル人FWのウィルとツートップを組んだ。清水自身の得点数は少なかったものの縦横に果敢に走ってスペースを突き、ウィルのマークを剥がして多くの得点チャンスを演出した。
 
2004年からは背番号18に変更。ステージ優勝に貢献し、チャンピオンシップでは2戦とも先発出場。坂田大輔とツートップを組み裏のスペースに積極的に走り込み勝利に貢献。マリノスの年間優勝に貢献した。
 
その後も出場機会は多くはないが、チームの為に前線で積極的に走れる清水範久のプレースタイルは高く評価された。清水がマリノスに在籍時に監督は8人も入れ替わっているがどの監督になっても出場機会を失うことはなかった。
 
2009年は開幕から公式戦全てで先発起用されていたが、練習中に左アキレス腱完全断裂という大怪我を負い出場から遠ざかる。
 
2010年に復帰しリーグ戦18試合出場3得点の活躍をみせたが、この年横浜から戦力外通告を受け退団。
 
2011年、J1に昇格したアビスパ福岡へ移籍するもリーグ戦5試合の出場に留まる。アビスパは開幕戦から9連敗を喫するなど精彩を欠き、J2降格となる。
 
この年をもって清水はアビスパを退団。現役引退を表明した。

清水範久の引退後と現在

清水範久は引退後、指導者となりサッカースクールSKYなどで指導にあたっている。
 
また解説者としても活躍しており、DAZNなどでもその姿を見る事が出来る。
 
清水範久は現役時代、ただ足が速いだけでなくスペースを作る事が出来るプレーヤーだった。
 
清水が縦やダイアゴナルに献身的に走り、相手が慌てて清水のマークにつくともう1人のFWのマークが剥がれてフリーになる。また清水のスピードによって生まれたスペースに2列目、3列目の選手が飛び込んでいき攻撃に厚みが増す。
 
実際にボールに触れなくても得点機会を作り出す、まさにオフザボールのお手本のような選手であった。