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GK

第237回 シュナイダー潤之介ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

声で守るGKと言ってもいい程、最後尾からの大きな声でのコーチングが持ち味のシュナイダー潤之介。
 
試合では優れた反射神経を生かしビッグセーブを連発。シュナイダー潤之介の活躍により勝利を手にした試合も多い。
 
ホームスタジアムでの勝利後にはゴール裏でサポーターを盛り上げる盛大なパフォーマンスを行い、後にそれはシュナイダー劇場と呼ばれ多くのサポーターから絶大な支持を受けた。
 
明るい性格で知られるシュナイダー潤之介だが実は群馬県リーグ2部からキャリアをスタートさせセレクションを受けてJリーガーとなった苦労人なのである。

シュナイダー潤之介のJリーグ入り前

シュナイダーは1977年東京都新宿区にドイツ系スイス人の父と日本人の母のもとに生まれた。
小学1年の頃キャプテン翼の影響で三菱養和SCでサッカーを始める。
 
落合第二中学校に進学しサッカー部に入部。卒業後、明星高等学校へ進学しサッカー部へ入る。この時漠然とプロを目指したいという思いを抱き、当時のポジション(DF)では可能性が薄いと自ら判断したシュナイダーは監督へ相談。FWかGKなら可能性があるのではとのアドバイスを受け、高校2年時にGKに転身した。
 
その後、進学した明星大学でもサッカーを続けたがチーム自体も強豪と言うわけでもなく、シュナイダー自身もJリーグクラブから声がかかるほどの活躍は出来なかった。
 
進路を思い悩んでいた矢先、サッカー誌に群馬FCフォルトナのクラブ立ち上げにともなう所属選手の募集の記事を見つけ自ら応募をする。
 
2000年に群馬FCフォルトナ(現アルテ高崎)入団。当初チームは群馬リーグ2部だったがシュナイダーは4部のサテライトリーグからスタートした。フォルトナでは群馬県予選を勝ち抜き、天皇杯に出場。1回戦でコンサドーレ札幌と対戦するが0-2で敗れている。
 
天皇杯後、群馬FCフォルトナは群馬FCホリコシへ改称。シュナイダーはこのタイミングでチームを離れる事を決意。雑誌で見かけたサガン鳥栖のセレクションを受け、合格。
 
月給5万円という条件でシュナイダー潤之介は合意し、サガン鳥栖でJリーガーとなった。

シュナイダー潤之介のJリーグ入り後

サガン鳥栖に加入初年度は出場機会がなかったが、翌年にはレギュラーに選ばれ出場機会も増えた。


2005年にはリーグ戦40試合に出場。キャプテンも務める。2006年はリーグ戦31試合に出場したが自身のステップアップを図るため退団を決意する。
 
2007年にベガルタ仙台へ移籍。
 
仙台の正GKだった小針清允からポジションを奪い試合出場の機会を得るが、同年6月に練習中にボールを取ろうとして右手を脱臼骨折、全治3ヶ月の重傷を負ってしまう。
 
戦線離脱を余儀なくされ、完治後も林卓人や萩原達郎らにレギュラーの座を奪われ、2008年は1試合も出場することなく戦力外となり退団する。
 
2009年ガイナーレ鳥取へ完全移籍。
 
井上敦史からポジションを奪いリーグ戦全34試合にフル出場。Jリーグ参入を目指していたがガイナーレ鳥取は惜しくも5位に終わり参入が見送られる。これにより本人の意思もあり退団。
 
2010年横浜FCに移籍。
 
岩丸史也、大久保択生、関憲太郎と正GKを争うも一定の出場機会を掴み、リーグ戦17試合に出場。しかし翌年は関が全38試合フル出場したため控えに降格した。
 
2012年も控えにまわっていたがJ2第9節京都パープルサンガFC戦で2年ぶりの出場を果たすと8試合ぶりに勝利を収めた。その後正GKの座を奪取しチームをプレーオフ圏内の4位に導く活躍を見せた。
 
2014年、関西サッカーリーグ1部の奈良クラブへ移籍。育成組織GKコーチも兼任する。
 
天皇杯1回戦で藤枝と対戦。延長まで0-0で抑えたがPKを1本も止められず敗北。この時に引退を意識したという。
 
またJFLセカンドステージ第13節の沼津戦、前半は無失点で抑えたが、自分の理想とかけ離れ過ぎていたプレーに限界を感じ第一線を退く決意をした。

シュナイダー潤之介の引退後と現在

シュナイダー潤之介は引退後、2016年よりザスパクサツ群馬のGKコーチに就任している。
 
雑誌の公募からJリーガーとなったシュナイダー潤之介。諦めなければ夢は叶うという言葉を体現した選手とも言えるだろう。
 
しかしきっかけが雑誌の公募であっただけであり、その後の15年にも及ぶプロ生活、Jリーグでのリーグ戦226試合出場の実績は決してエリートではなかったシュナイダー潤之介の血の滲むような努力の結果に他ならない。
 
シュナイダー潤之介は、試合後にサポーターと共に最も活躍した選手を祝福しチームに関わる全員で喜びを分かち合った。後にそのパフォーマンスはシュナイダー劇場と呼ばれ、クラブの名物の1つとなった。
 
コーチとなった今もシュナイダー潤之介の大きな声は健在だ。観客席にも聞こえるような大きな声は今日もGKだけでなくチームやサポーターの士気を上げている。