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第229回 宮本恒靖ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

高い戦術理解度と抜群のキャプテンシーを持った頭脳派センターバック、宮本恒靖。

所属したガンバ大阪では中心選手として活躍し数々のタイトル獲得に貢献。甘いルックスもあり高い人気を誇った。

日本代表としての活躍も顕著であり、2002年の日韓ワールドカップではフェイスガードをつけて戦いながら日本初のベスト16入りに貢献。

 

2004年のアジアカップでのヨルダン戦ではPK戦にもつれ込むが芝の不良によって日本は立て続けに外し窮地に追い込まれるも宮本恒靖のレフェリーへの働きがけによりコート替えの要求が通りその後の劇的な勝利に繋がった。

2006年のワールドカップ後はオーストリア1部リーグへ自身初の海外移籍を果たした。

ヴィッセル神戸時代には美しすぎるオーバーヘッドシュートを鮮やかに決める。これが宮本恒靖の現役生活最後のゴールとなった。

日本サッカー史に名を残すキャプテン宮本恒靖に迫る。

宮本恒靖のプロ入り前

宮本は1977年に大阪府富田林市に生まれた。

富田林市立伏山台小学校へ入学。
マラドーナのプレーを見て感銘を受け10歳でサッカーを始める。当時のポジションはFWだった。

小学校卒業後、富田林市立金剛中学校に進学。第14回全日本選抜中学生大会、日本ジュニアユース代表候補などで活躍。生徒会長を務めるなど、サッカーと学業を両立する。

中学卒業後、大阪府立生野高等学校へ進学。高校のサッカー部ではなく、ガンバ大阪ユースに所属し3年間キャプテンを務める。1993年U-17の世界大会でベスト8に入る。宮本はこれがきっかけでプロになる事を決意する事になった。1994年にはJリーグユース選手権大会で優勝を経験。

1995年同志社大学に進学と同時にクラブでは初めてガンバ大阪のトップチームに昇格する。同期には實好礼忠、森下仁志、中口雅史、高木健旨、松山明男がいた。

宮本恒靖のプロ入り後


プロ契約後はなかなか出場の機会に恵まれなかったが、年代別代表では活躍を続ける。1997年に第11回FIFAワールドユース選手権でキャプテンとして5試合に出場。

その後ガンバでもレギュラーを勝ち取り、2000年にはトルシエ監督により日本代表に初選出される。6月18日のキリンチャレンジカップ・ボリビア戦で初出場を果たした。

2002年日韓W杯では、開催直前の静岡産業大学との練習試合で競り合った際、相手選手の肘が顔に入り、鼻骨を骨折。これにより、顔面を保護するために医療器具のフェイスガードを装着。白いガードに自らの手で黒いマジックで色をつけて出場。そのプレーする姿に海外のメディアからはバットマンと呼ばれ注目を浴びた。

ガンバ大阪ではキャプテンとして2004年にJリーグ優勝を経験した。
 
日本代表監督がジーコに代わった後も代表のキャプテンとして活躍。2006年のドイツワールドカップでは黄金世代の集大成として期待されるもグループリーグで敗退した。
 
宮本は日本に帰国後、自分が成長できる場所を求め、2007年29歳の時にオーストリア1部リーグのザルツブルクに移籍を果たした。
 
加入したそのシーズンにチームは10年ぶりの優勝を果たす。翌年には欧州チャンピオンズリーグ予備予選に出場。慣れない左サイドバックで起用されるも着実にステップアップしている手応えを感じるが2008年1月に左太腿裏の腱断裂の大怪我を負い全治5ヶ月の診断を受けた。
8月に公式戦復帰を果たすが、新監督からの信頼を勝ち取れずその後出場機会は減ってしまう。その後、ヴィッセル神戸からオファーを受け完全移籍を果たす。
 
ヴィッセル神戸ではキャプテンとしてチームを牽引。センターバックやボランチとしてプレー。7月18日の第18節川崎フロンターレ戦では美しいオーバーヘッドシュートを決めた。

しかし2010年、2011年は控えに回り出場機会が激減。ベンチ入りを続けるも出場機会は2010年にリーグ戦6試合、2011年は4試合とプロ入り後最低の出場試合数となった。

2011年シーズン終了後、宮本はヴィッセル神戸からの契約延長を固辞し現役引退を表明した。

宮本恒靖の引退後と現在

宮本恒靖は引退後、FIFAが運営しているスポーツ学に関する大学院のコースであるFIFAマスターへの合格を発表。日本人の元プロサッカー選手では初めての事であった。

FIFAマスター取得後は日本に帰国。2015年から古巣のガンバ大阪のコーチとなり、2017年シーズン途中からガンバ大阪の監督に就任している。
 
宮本が進んだFIFAマスターは過去12年間、元プロサッカー選手から進学した人は存在しなかった。世界各国から弁護士や会社経営者などの人材が集まり、イギリスの地で近代スポーツの歴史やスポーツに対しての組織論、哲学、法律について学んだ。
 
ここで学んだ卒業生は国際オリンピック委員会(IOC)やFIFAといった団体のほか、世界的なスポーツ関連企業などの仕事に就き、その能力を発揮している。
 
これまで日本サッカーを牽引してきた宮本恒靖。
 
今後も指導者として携わるのか、それとも経験を生かしたサッカー界全体をマネジメントする道に進むのか分からないが、キャプテン宮本が今後の日本サッカー界において重要な人物であるのは間違いない。