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GK

第222回 小針清允ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

ドレッドヘアーが印象的なゴールキーパー小針清允。

ハイボールにも強く、的確なタイミングでキャッチとパンチングを使い分け、抜群の反射神経で一旦乗り出すと止まらない。
 
小針は各年代別代表に早くから選出され、早くからその将来を嘱望された。
 
ヴェルディ川崎、ヴィッセル神戸、ベガルタ仙台とJリーグチームを渡り歩き、栃木SCやガイナーレ鳥取では守護神としてチームのJリーグ昇格に貢献した

小針清允のプロ入り前

小針清允は1977年に東京都板橋区に生まれた。
 
7歳の頃にキャプテン翼を見たことがきっかけでサッカーを始めた。そして9歳の時にメキシコワールドカップで活躍していたマラドーナを見て、プロサッカー選手になる夢を持つようになった。
 
小学校の時には全日本少年サッカー大会に出場するなど早くから頭角を現す。
 
中学校入学後、読売(現東京ヴェルディ)のジュニアユースに入る。同期には佐伯直哉、佐藤悠介がいた。
 
東京都立北豊島工業高等学校へ進学後は読売日本ユースへ昇格。
 
1993年、U-17日本代表に選出。日本で開催されたFIFAU-17世界選手権に出場。
 
財前宣之、中田英寿、宮本恒靖、松田直樹、戸田和幸らと共に戦いグループリーグを突破するも準々決勝でナイジェリアに1-2で敗れた。
 
高校卒業後の1996年にヴェルディ川崎のトップチームに昇格。プロ契約を結んだ。

小針清允のプロ入り後

ヴェルディ入団後は、日本代表の菊池新吉本並健治の牙城を崩せずなかなか出場機会に恵まれなかった。


しかし年代別代表には招集を受け、1997年にはFIFAU-20ワールドカップに出場を果たした。
 
1997年1stステージ第10節名古屋グランパスエイト戦でJリーグデビューを果たす。
 
その後もU-20、U-22日本代表に選出されワールドユースやシドニーオリンピックアジア予選に招集を受けたがオリンピックにはオーバーエイジ枠で楢崎正剛が選出された事もあり本戦メンバーからは漏れた。
 
ヴェルディには入団から5年間在籍するもリーグ戦4試合の出場に留まり2000年をもって退団しヴィッセル神戸へレンタル移籍を果たす。
 
しかしヴィッセル神戸でも出場機会に恵まれず、2002年にベガルタ仙台へ再びレンタル移籍を果たした。
 
序盤戦は控えだったが、1stステージ第7節FC東京戦に出場しベガルタでのデビューを果たすとこの試合の勝利に貢献。
 
翌年の2003年のリーグ戦は19試合連続勝利なしという苦しいシーズンとなったが2ndステージ第9節ガンバ大阪戦でガンバの猛攻に耐え抜き、ゴールを死守。無失点で逃げ切り1-0で勝利に貢献した。
 
しかし序盤の取りこぼしが響き、ベガルタ仙台はJ2へ降格。多くの主力選手がチームを去るなか小針はレンタル期間を延長し残留する。
 
2004年、2005年はリーグ戦1試合の出場に留まるも2006年にレギュラーを奪回。安定した守備でリーグ戦25試合に出場を果たした。
 
しかし2007年はシュナイダー潤之介と林卓人の加入と膝の故障も重なり出場機会が減少。この年をもって戦力外通告を受け退団する。
 
2008年にはJFLの栃木SCに移籍。
 
栃木では加入初年度から全試合に先発フル出場し、栃木のJリーグ昇格に貢献。小針自身もベストイレブンにも選ばれる活躍を見せた。
 
2009年も正GKとなるがチームの守備の不安定さやチーム若返りを進める方針もあり出場機会が激減。戦力外通告を受けた。
 
2010年ガイナーレ鳥取に完全移籍。
 
移籍後すぐにレギュラーに定着。公式戦全試合先発フル出場し、チームのJFL優勝と自身2度目のJ2昇格に貢献。ベストイレブンにも選出された。
 
2014年契約満了となりガイナーレを退団。2015年2月に19年間のプロ生活に別れを告げ引退を表明した。
 
小針はJ1ではリーグ戦通算37試合、J2では通算156試合、J3では通算21試合に出場の記録を残した。

小針清允の引退後と現在

小針は引退後、帝京大学サッカー部のGKコーチを務め、2018年からは将来のJリーグ入りを目指す南葛SCのGKコーチに選手兼任で登録されている。
 
小針清允といえばまず先にイメージするのがドレッドヘアーだ。
 
好きな音楽の影響でプロ1年目から始めたドレッドヘアーは今でも小針のトレードマークだ。
 
サッカーキングのインタビューによると20年程同じ美容室に通っており、手入れは年に1.2回で済むとの事である。これはとても意外だった。
 
今後Jリーグクラブの指導者としてJのピッチに戻った時にも、トレードマークのドレッドヘアーでいてほしいと思う今日この頃である。