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第214回 カピトンってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

個人的な話をさせてほしい。

1994年12月2日。満員の国立競技場で行われたヴェルディ川崎対サンフレッチェ広島のチャンピオンシップ第2戦。
 
テレビの前の小学生の僕はある1人の無名の黒人選手に夢中になった。
 
サンフレッチェ広島の攻撃の要であるイワン・ハシェックを執拗なマークで仕事をさせず、中盤の底でボールを奪う。センターサークル付近にスペースが出来たと思ってもすぐにその男が静かにスペースを消した。
 
カピトン。本名オレウデ・ホセ・リベイロ。
特徴のある顔で笑うとくしゃおじさんのようで愛嬌があった。
 
テレビに映るか映らないか、ギリギリの所で攻撃の芽を積むと、すぐさま前線のラモス瑠偉やビスマルクといったスター選手に正確なパスでビルドアップの起点となった。
 
隣で見ていた父親がテレビの横の壁を指差して言った。
 
「テレビに映らないここで目立たない地味な仕事をしている選手がいるから輝く選手がいるんだよ。」
 
後半残り10分。ヴェルディ川崎のラモス瑠偉が右足で芸術的なループシュートを決める。
 
観客席から大歓声が巻き起こり、ラモスの時が止まったような美しいループシュートがテレビ画面にリピートする。何度も何度も。
 
僕はその映像を見ながら、テレビ画面に映らない場所で献身的な動きで黙々と仕事をこなしたカピトンを思い浮かべる。
 
誰かが言う。あの試合のMVPはラモス瑠偉だが、影のMVPはカピトンだと。
 
僕は思う。真のMVPこそがカピトンだと。

カピトンのJリーグ入り前

カピトンは1966年にブラジル・ミナスジェライス州コンセリェイロ・ペナに生まれた。
 
1986年、カピトンが20歳の時にブラジルのカスカヴェルECでプロキャリアをスタートさせた。
 
当時から守備的な位置でプレーしボランチだけでなく守備意識の高いカピトンはDFもこなした。
 
1988年にブラジルの名門であるポルトゥゲーザに移籍。カピトンは尽きる事のない運動量と危機察知能力の優れたボランチとして活躍。キャプテンも担った。
 
しかしポルトゥゲーザでは1989年の1部リーグで7位になるもののその後もタイトルを獲得するまでは至らなかった。
 
1994年、ヴェルディ川崎からオファーを受けJリーグ入りを果たす。

カピトンのJリーグ入り後

カピトンはヴェルディ川崎の誇る前線の豊富なタレントを中盤の底で支えるバランサーの役割を期待されたが、ヴェルディにはペレイラ、パウロ、ビスマルクがおり外国人枠3人の中に入る事は簡単ではなかった。
 
1994年4月13日第9節ガンバ大阪戦でJリーグデビューを果たす。
 
その後も日本代表主将の柱谷哲二とドイスボランチを組み、前のラモス瑠偉、北澤豪、ビスマルクにボールを散らす役割を担った。
 
パウロが早々に退団した事もあり、外国人枠の問題もクリアになったカピトンはレギュラーに定着する。
 
しかし1994年夏にエースの三浦知良がセリエAジェノアへ移籍を果たし、その穴を埋めるためにヴェルディはブラジル人FWベンチーニョを獲得する。
 
再び外国人が4人となり、DFリーダーのペレイラ、司令塔のビスマルク、そしてカズの代役として攻撃の柱と期待されたFWベンチーニョが固定して起用され、カピトンはベンチ入りすら出来ない日々が続いた。
 
加入したベンチーニョはNICOSシリーズ第3節ジュビロ磐田戦でさっそくハットトリックを決めるなど期待に応える。
 
ベンチーニョはリーグ戦16試合に出場し13得点を奪う活躍を見せる。
 
しかしシーズン終盤にヴェルディは先取点を奪われる試合が続いた。守備を安定させる為にベンチーニョが外され、カピトンが復帰を果たす。
 
カピトンが復帰したヴェルディは守備が安定し、NICOSシリーズで優勝。サントリーシリーズ優勝のサンフレッチェ広島とのチャンピオンシップに臨むこととなった。
 
広島ビッグアーチで行われたチャンピオンシップ第1戦。ヴェルディは北澤豪の先制ゴールを守り切り、年間チャンピオンに王手をかけた。カピトンはペレイラ、加藤久と共に守備に奮闘。フル出場を果たし勝利に貢献した。
 
迎えた第2戦。国立競技場。
 
サンフレッチェ広島は日本代表FW高木琢也をターゲットマンに据え、その後ろにシャドーストライカーとしてチェコ代表キャプテンのイワン・ハシェックが控えた。
 
両サイドにはノジュンユン、チェルニーというスピードと力強いドリブルが特徴の選手が揃い、広島の代名詞であったスペクタクルなパスサッカーを支える風間八宏、森保一が中盤の底に位置した。
 
対してヴェルディは武田修宏を1トップに、その後ろにビスマルク、北澤豪、ラモス瑠偉が並び柱谷哲二とカピトンがボランチを担った。
 
前半は勝利が絶対条件の広島が優勢に試合を進めたが、ヴェルディはカピトンを中心に守り試合は0-0のまま進んだ。
後半から広島は前がかりになる。高木琢也が怪我のために後半14分に交代すると、ノジュンユン、ハシェック、チェルニーの3トップに変更し猛攻を仕掛けた。
 
しかしヴェルディはキーマンであるハシェックにカピトンをつけ、決定的な仕事を封じた。
大一番でマンマークという最も得意とする仕事を与えられたカピトンは躍動し、サンフレッチェの攻撃を見事なまでに防ぎきった。
 
後半35分。ペナルティエリア付近のこぼれ球をラモス瑠偉が拾うと、前に出すぎていたサンフレッチェGK河野和正の動きを見て芸術的なループシュートを放った。
 
必死で手を伸ばす河野の手をすり抜けてボールは鮮やかな軌道を描いてゴールネットに吸い込まれていった。
 
この決勝点を守り切ったヴェルディは2年連続で年間チャンピオンとなった。
 
カピトンは2戦ともフル出場を果たし、守備面に大きく貢献したが契約更新は行われず、この年をもって1年でヴェルディを去ることとなった。
 
ヴェルディを退団したカピトンはブラジルに帰国後、古巣であるポルトゥゲーザに復帰。
 
その後1998年にサンパウロに移籍しリーグ戦17試合に出場した。
 
その後はグレミオ、グアラニ、ボタフォゴとブラジル国内の強豪クラブを渡り歩いた。
 
サンパウロではサンパウロ州選手権優勝に貢献、グレミオではリオグランデ・ド・スル州選手権の優勝に貢献した。
 
カピトンはその後、再びポルトゥゲーザに戻りプレー。2004年まで現役を続ける息の長い選手となった。

カピトンの引退後と現在

カピトンは引退後、カスカヴェルで農場を経営し妻と4人の子供と暮らしている。
 
ポルトゥゲーザで長きに渡りプレーしリーグ戦175試合に出場したカピトンはポルトゥゲーザの功労者として讃えられている。
 
 
チャンピオンシップを制してヴェルディが優勝を果たした翌日。
 
僕が通う小学校ではラモス瑠偉のループシュートやFWに何度も決定的なパスを出したビスマルクを賞賛する声が多かったが、カピトンの名前は出てこなかった。
 
当時の日記に僕はこう記している。
 
「見えないカピトンがテレビの後ろで戦っている姿がかっこよかった」
 
担任の教師は僕の日記に赤字でこう記した。
 
「テレビに映るところが全てではありません。影で支える人がいるからこそ真ん中に光が当たるのです」
 
チャンピオンシップでのカピトンの影の働きがなければヴェルディの2連覇はなかったと僕は今でも信じている。