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第203回 松田浩ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

屈強な身体を武器にサンフレッチェ広島やヴィッセル神戸で活躍したDF松田浩。

サンフレッチェ広島時代には当時としては珍しい35M級のロングシュートを決め話題となった。

松田浩は1992年に現役を引退していたものの、1993年のJリーグ開幕前にチーム事情から現役復帰を果たしたという珍しい経歴をもつ。

1993年、松田の復帰もあってDFラインは安定し1994年のサンフレッチェ広島の初優勝へと続いていく。

松田浩のJリーグ入り前

松田は1960年に長崎県長崎市に生まれた。

長崎市立山里小学校の時にサッカーを始める。
 
中学校時代はサッカー部で活躍し長崎北高校へ進学。高校時代は島原商業が選手権の常連として君臨しており、全国高校サッカー選手権大会への出場は叶わなかった。
 
高校卒業後、松田は筑波大学へ進学。大学時代の1年後輩にサンフレッチェで共にプレーする事になる風間八宏、2年後輩に後の日本代表コーチとなる小野剛がいた。
大学2年生のときにブラジルのポルトアレグレに留学。松田はインテルナシオナルのジュニオール(18歳~19歳世代)に所属して練習に参加した。チームには後のブラジル代表キャプテンとなるドゥンガがいた。
 
1年間の留学を終えて筑波だいがに復学すると1学年下の風間八宏、鈴木淳らと同級になり、筑波の黄金時代を築き、1983年の関東1部リーグで優勝を果たし、個人としてもユニバーシアード日本代表に選出されるなど大学屈指の選手へと成長する。
 
松田は数あるスカウトの中、マツダSC(現サンフレッチェ広島)への入団を決意。
 
恵まれた体格からFWとして起用されていたが、コーチにハンス・オフトが就任するとCBに固定される。
 

松田浩が在籍していた時のマツダSCは2部と1部を行き来する不安定な成績が続くが、1989年-1990年にはJSL2部のベストイレブンに選出されるなど評価を高めた。

しかしJリーグ開幕前年の1992年。
 
右膝の靭帯の怪我により、松田は現役を引退する。
 
松田はコーチを担いながら、海外営業部に配属され英会話を学んでいた経験を生かし、監督であるイギリス人のスチュワート・バクスターの通訳も兼任した。
 
だがその後、母校・筑波大学のスポーツ医学の教授に作ってもらったリハビリメニューをこなしながら選手の足らない紅白戦などに出場していくうちに、回復をあきらめていた膝がどんどん回復していく。
 
その後、バクスターは英語が出来て戦術を理解している松田に現役復帰を要請。
 
松田浩はこの要請を快諾し、Jリーグ開幕前年のナビスコ杯で現役復帰を果たした。

松田浩のJリーグ入り後

1993年5月16日の第1節ジェフユナイテッド市原戦でJリーグデビューを果たす。
 
5月22日のヴェルディ川崎(現 東京ヴェルディ )戦では約35mのロングシュートを決め話題となる。当時のJリーグではDFがこの距離でロングシュートを放つ事自体が珍しく、このシュートは語り草となった。
 
その後もNICOSシリーズ第6節の横浜マリノス戦でもペナルティエリア外から強烈なミドルシュートを決め2-1での勝利に貢献した。
 
このシーズン、松田浩はリーグ戦36試合に出場し3ゴールを決めた。
 
1994年はセンターバックにスピードのある柳本啓成、佐藤康之が起用された為に出番は減少。
 
上村健一や路木龍次の台頭やノルウェー代表のトーレの加入もありリーグ戦8試合の出場に留まる。
 
1995年は出場機会を求めてJFLのヴィッセル神戸へ移籍。恩師であるバクスターも神戸の監督に就任。
 
1月には震災の影響もあり練習に影響が出るも、ベテランとしてチームを牽引。
 
神戸では2年間プレーし、1996年のヴィッセル神戸のJリーグ昇格を見届けて現役を引退した。

松田浩の引退後と現在

松田浩は引退後、ヴィッセル神戸でコーチ、監督を歴任。
 
アビスパ福岡、栃木SCの監督を経て現在は故郷である長崎にてヴィファーレン長崎の強化部長を務めている。
 
日本は個で戦うよりも組織で戦う方が力を発揮すると言われるようになって久しい。
 
組織的に守備を行う戦術「ゾーンディフェンス」は名将・松田浩の用いる戦術のひとつである。
 
松田浩は、現役時代にサンフレッチェでスチュワート・バクスターという名将に出会いゾーンディフェンスを学んだ。
 
一度現役を引退した男がその後に復帰し36歳まで現役を続けられたのは負担が少なく面白みのあるゾーンディフェンスに出会ったからだと松田は語る。
 
ゾーンディフェンスとはマークする相手を決めてしまうマンツーマンディフェンスとは違い、ボールを基準点に1人がチャレンジし、自分のゾーンに入ってきた相手選手のマークにつくディフェンスだ。すなわちマークする相手はどんどん変わっていく。やみくもにチェイスを行うのではなくパスコースを切りに行く。それを繰り返していくとじよじょに相手はパスの出しどころに困り、苦し紛れの浮き玉を放るしか出来ない状況に陥る。1対1の能力では劣るとしても数的優位な状況を作ってチームでボールを奪うという考えである。
 
ゾーンディフェンスはボールの動きに対して常に考えながら連動的に選手達が動く必要がある為、高い戦術理解と選手間の距離感、連携が必須になる。
 
ゾーンディフェンスがうまくはまれば効果的にボールを奪取でき、カウンターにつなげる事が出来る。しかし反面、状況判断が遅れたりたった1人でもセオリーに反した行動をとってしまうとたちまち責任の所在が曖昧になり、相手にスペースを与えてしまう危険性もある。
 
重要なのは戦術の理解と連動性。今後もゾーンディフェンスは進化していくだろう。運動量と勤勉さに長ける日本人が高いレベルでこの戦術を理解出来るようになればまたひとつ上のレベルに行けるのではないだろうか。