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第201回 室井市衛ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

対人プレーに強いセンターバック、室井市衛。

冷静でスマートな守備が持ち味だが、空中戦に強い。

鹿島アントラーズや浦和レッズでは数々のタイトル獲得を経験。

鹿島では秋田豊、奥野僚右、浦和では田中マルクス闘莉王、坪井慶介らがいた為に1年間を通してレギュラーで起用されたシーズンは少ない。

しかし出場した試合では安定したパフォーマンスを見せる室井市衛の存在は貴重な戦力であり、14年に渡りJリーグでプレー出来た事がそれを物語っている。

室井市衛のプロ入り前

室井は1974年、埼玉県浦和市(現さいたま市桜区)に生まれた。

小学校時代は蕨市北町少年団に所属。転校したあとも通うほどサッカーに夢中な少年だった。

田島小学校から浦和市立田島中学校へ進学。
同級生には後に浦和レッズで共にプレーする阿部敏之、1つ上の学年に内舘秀樹がいた。中学時代、室井はウイングとして攻撃的なポジションでプレーをしていた。

中学校卒業後にサッカーの名門である武南高等学校へ進学。ここで室井はセンターバックに転向する。武南には同級生に後にFC東京で活躍する浅利悟、1学年上にはマリノスで活躍する上野良治がいた。

室井は高校2年時にレギュラーを獲得し、2年時に出場した全国高校サッカー選手権では右サイドバックとして出場し全国ベスト8入りに貢献。

高校3年時にはストッパーとして守備リーダーを担い、全国ベスト4入りに貢献した。

高校卒業後、鹿島アントラーズ入団。同期入団には秋田豊(愛知学院大)、奥野僚右(早稲田大)、鬼木達(市立船橋高)、アルシンド(グレミオ)がいる。

室井市衛のプロ入り後


入団後、鹿島には秋田豊、奥野僚右らが最終ラインを担った為、入団後2シーズンは出番がなかった。

入団3年目の1995年、NICOSシリーズ第24節浦和レッズ戦でJリーグデビューを飾る。この年はシーズン終盤の3試合のみの出場に留まったが、翌年の1996年にはリーグ戦14試合に出場し鹿島アントラーズのリーグ優勝に貢献した。

1998年は出場機会が少なかったものの貴重なバックアッパーとしてベンチ入りを続ける。

この年のチャンピオンシップ、ジュビロ磐田戦には2試合ともスタメン出場を果たす。

第1戦の延長後半5分、ジョルジーニョのシュートをジュビロ磐田GK大神友明が弾いたところを室井が押し込みVゴールを決め勝利の立役者となった。
第2戦も秋田豊、相馬直樹、名良橋晃と安定したDFラインを敷き、2-1の勝利に貢献。鹿島は年間優勝を果たした。

2000年には完全移籍で地元のチームである浦和レッズへ移籍。

J2に降格した出身地にあるチームを救いたい、1年でJ1に再び上げたいと強い意志をもっての移籍だった。

室井はこの年キャリアハイとなるリーグ戦23試合に出場。昇格という約束を果たし1年でのJ1返り咲きに一役買った。

2001年シーズン途中にはセレッソ大阪にレンタル移籍をするが2002年に浦和に復帰。

センターバックには井原正巳、坪井慶介、内舘秀樹がいた為に出場機会は限られたが出場した試合では安定したプレーを見せた。

その後も田中マルクス闘莉王、ゼリッチ、ネネなどが加入しレギュラーを争った。

浦和レッズではJリーグ優勝、ナビスコ杯優勝を経験した。

2005年ヴィッセル神戸へ移籍。

しかし神戸は開幕戦で勝利して以降、公式戦12試合勝ちなしとなり、その後も下位に低迷。結局建て直す事は出来ずにこの年J2に降格。
室井も1年でチームを去る事になった。

2006年にJ2の横浜FCへ移籍。

横浜FCではベテランセンターバックとしてチームを支え、加入1年目に横浜FCのJ2優勝とJ1昇格に貢献。

翌年も横浜FCでプレーしたがリーグ戦8試合の出場に留まりこのシーズンをもって横浜FCを退団。現役引退を表明した。

J1通算112試合4得点、J2通算23試合1得点の記録だった。

室井市衛の引退後と現在

室井市衛は引退後、古巣である浦和レッズのハートフルコーチに就任し幼稚園や小学校年代にサッカーの楽しさを教えている。

ハートフルの活動はホームタウンを中心に行われているが、震災以降は毎年、被災地の小学校への訪問を行い、海を越えてカンボジアやベトナムなどアジア各地でも行われている。その名の通り、サッカーを通じて子供達の「こころ」を育むこの活動に室井が携わって10年以上の年月が流れている。

室井市衛は在籍した全てのクラブで優勝や降格をした経験をもつ貴重な選手だ。

鹿島ではJ1リーグ優勝、天皇杯優勝、ナビスコ杯優勝、浦和レッズではJ2優勝、J1優勝、ナビスコ杯優勝、セレッソ大阪ではJ2降格、ヴィッセル神戸ではJ2降格、横浜FCではJ2優勝など、在籍した各チームで多くの優勝と降格を経験している。

その経験は財産となりコーチとなった今、その財産は世界の多くの子供達にサッカーの楽しさと共に受け継がれている。