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第195回 アマラオってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

引退して10年以上が経過しても尚、味の素スタジアムのゴール裏からバックスタンドにかけて彼の肖像画が大きく掲げられている。

アマラオ。誰もが認めるキング・オブ・トーキョーだ。
 
日本サッカーリーグ時代からチームを支え、東京ガス及びFC東京における公式戦出場数は332試合に及ぶ。
 
優れたボディバランスと高い決定力でゴールを量産。センターフォワードながら苦しい時は自陣の深い位置まで戻り献身的に守備を行った。
 
アマラオのゴールはFC東京の成長と躍進と共に存在し、FC東京の歴史の中心に刻まれている。

アマラオのJリーグ入り前

アマラオは1966年にブラジルのサンパウロ州ピラシカーバに生まれた。
 
8歳の時にアマチュアクラブであるポンチ・ブレッダのジュニアチームでサッカーを始める。
 
当初はセンターバックとしてプレーしていたがヘディングの強さを評価され15歳の時にFWに転向する。
 
裕福な家庭ではなかったアマラオは旋盤工として町工場で働きながら夜間の高校へ通学し土日にアマチュアリーグでプレーする日々を送った。
 
19歳の時にアマチュアリーグで得点王を獲得し、パルメイラスのトップチームのテストを受けるが不合格となり以降は働きながら土日にサッカーを楽しむ生活を送る。
 
だが21歳の時にカピヴァリアーノFCのユースチームからオファーを受け加入。すぐにコメルシアウFCにレンタルされ、プロとしてのキャリアをスタートさせ同年リーグ戦で16得点を挙げ、2部への昇格に貢献した。
 
1989年にはイトゥアーノFCでサンパウロ州選手権2部優勝を果たした。
 
1992年短期レンタルで名門のパルメイラスへ移籍。パルメイラスではエバイール(元横浜フリューゲルス)と共にプレーをするがアマラオは膝の負傷による思ったような活躍が出来ずにいた。
 
そんな中、イトゥアーノの監督だったテイシェイラが東京ガスサッカー部(現 FC東京)へアドバイザーとして加入することになり、同部への加入を持ちかけられる。アマラオは金銭的好条件と海外でのプレーに惹かれ、訪日を決断する。
 
来日したアマラオはブラジルのクラブ環境とかけ離れていた日本の状況に衝撃を受けるも日本でのプレーを継続する。
 
加入3年目にはリーグ戦30試合に出場し20得点を挙げるなど東京ガスの不動のセンターフォワードとなった。
 
1998年、東京ガスはFC東京としてプロクラブ化し、JFLでも初優勝を飾る。
 
翌1999年、アマラオはFC東京と共にJリーグに昇格する。

アマラオのJリーグ入り後


アマラオはクラブ史上初のハットトリックを達成するなど、Jリ―グの舞台でも躍動する。
この年FC東京は、J2で2位を実現してJ1昇格を果たした。
 
2000年、初のJ1での戦いとなったが川崎から期限付き移籍で加入したツゥットのコンビが得点を量産。
 
2001年は呂比須ワグナーやケリーとのコンビで得点を重ねた。
 
2002年もリーグ戦15得点を挙げ不動のエースとしての地位を確立するも、この時アマラオは35歳。年齢による怪我の回復の遅れやプレーの衰えを見せつつあった。
 
2003年、チームの若返りを図る為にこのシーズン限りでFC東京を退団。
 
2004年にはJ2の湘南ベルマーレへ移籍。
 
若手選手と同様の練習メニューに取り組みホーム開幕戦のJ2第2節横浜FC戦で得点を挙げる上々のスタートを切るもその後は怪我の影響もあり19試合に出場し2得点に終わった。
 
2005年にはJFLのアルテ高崎へ。
 
同年のJFL後期第9節三菱水島戦でJFL史上初の1試合5得点を記録。
 
その後は監督兼任でプレーしたりなどチームの大黒柱として活躍するが膝の調子が上向かず2007年に現役を引退した。

アマラオの引退後と現在

アマラオは2009年にJFLのFC刈谷のコーチに就任と同時に2年ぶりに現役復帰し、一時は現役最年長プレイヤーとなった。
 
しかし同年、刈谷はJFLで17位となり、東海1部リーグへ降格となると、翌年からは監督に専念することとなった。
 
アマラオはその後も日本に残り、2011年は東京23フットボールクラブ監督、2014年には暁星国際学園サッカー部ヘッドコーチ、2016年にはJ2のザスパクサツ群馬のコーチなどを歴任。
 
2017年からはtonan前橋の監督を務めている。
 
JFL、J2、J1とカテゴリーを上げて成長していったFC東京の中心にはいつもアマラオがいた。
 
これほどまでにサポーターに愛され尊敬の念を送られる選手が他にいるだろうか。
 
異国の地からやってきた人間の功績が認められ、新たなサポーターにも受け入れられて、敬愛の念とともに歴史を受け継いでいく。まだまだ歴史の浅いJリーグでこのようなシーンを目にするのは非常に感慨深いと感じる。
 
青赤に染まったスタンドには今日もキング・オブ・トーキョーの旗が誇らしげに掲げられている。
 
新たな歴史を作っていく為に。