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第193回 武田修宏ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

卓越したテクニックや強靭なフィジカルがある訳ではない。

しかしこの男は得点を奪い続けた。

特筆すべきはゴールへの嗅覚。

ゴールの匂いのする場所を瞬時に判断し絶妙なポジショニングでJリーグ通算94ゴールを挙げた武田修宏。

Jリーグ創世記を代表するストライカーとして高い知名度を誇り、甘いルックスで数々の浮名を流したがサッカーに賭ける情熱は人一倍強く現役晩年にはパラグアイに渡り、恵まれない環境で自分と向き合うなど武田修宏は挑戦し続けるサッカー人生を歩んだ。

日本を代表するワンタッチゴーラー、武田修宏に迫る。

武田修宏のJリーグ入り前

武田は1975年に静岡県浜松市に生まれた。

小学校一年生の頃に2歳年上の兄の影響で地元、浜松佐藤サッカー少年団へ入団。めきめきと頭角を現し「天才サッカー少年」と呼ばれるようになる。同じ静岡県出身の中山雅史とは小学校時代からのライバルであった。

中学二年生で東海選抜メンバーに選ばれ全日本選抜中学生サッカー大会で優勝、中学三年生で当時中学生ではただ一人ジュニアユースメンバーに選ばれた。

中学卒業後、静岡県立清水東高校へ進学。
一つ上の学年に長澤徹、二つ下の学年に堀池巧、大榎克己がいた。

高校でも武田の活躍はめざましく、1年生で出場した全国高等学校サッカー選手権大会静岡県予選では9得点を挙げる活躍を見せ得点王とMVPを獲得。
高校サッカー選手権全国大会では5得点を挙げるなどチームに貢献し、準優勝へと導く。

甘いルックスで女性から絶大な人気を集め、実力と共に武田修宏の名前は一気に全国に知れ渡った。
ゴール前でワンタッチで決める武田のゴールはごっつぁんゴールと呼ばれ、以降武田の代名詞となる。

高校卒業後、静岡第一ビデオ(現SDTエンタープライズ)に入社。同時に日本サッカーリーグ(JSL)1部の読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)に鳴り物入りで入団。

多くのスター選手がいる読売だったが武田は入団初年度からポジションを獲得。
いきなり1年目の1986-87シーズンに11得点を挙げ、新人王とベストイレブンのタイトルを獲得。読売の2シーズンぶりのリーグ優勝に貢献した。

1987年には日本代表にも選出され、ソウルオリンピック予選に出場。成績が伸び悩んでいた事もあったが1989-90シーズンには13得点を挙げ復活、翌1990年に代表へ復帰を果たした。

1990年にブラジルから三浦知良が加入すると、三浦とのコンビで1990-91、1991-92シーズンのリーグ連覇に貢献した。 

武田修宏のJリーグ入り後


武田は、Jリーグ開幕後も武田はスター軍団であるヴェルディの中心人物として活躍。

三浦和良、ラモス瑠偉、北澤豪らと共にチームを支え黄金時代を築いた。
 
2年目には40試合に出場し日本人1位となる23得点を記録。ベストイレブンに選出された。
 

日本代表では1993年にアメリカワールドカップ出場を目指す日本代表の一員としてアジア最終予選を戦うが、オフト監督の下では高木琢也や中山雅史ら同年代の選手に比べ出場機会があまりなく、ベンチを温めることが多かった。

W杯アメリカ大会のアジア最終予選・イラク戦(ドーハの悲劇)では試合終盤の81分に中山と交代で出場するも、武田のプレーがロスタイムでの失点につながり非難を浴びてしまう。
その後、1994年以降W杯メンバーに呼ばれることはなかった。
 
1995年もシーズン20ゴールを決めるが、この年をもってヴェルディを離れ地元のジュビロ磐田へ移籍。
 
ジュビロ磐田にはスキラッチと中山雅史という不動の2トップがいた。
 
武田はオフト監督により右のサイドバックにコンバート。武田のスピードと得点能力を評価されての起用だったがそれまで攻撃的ポジションしか経験のない武田は不慣れなポジションに戸惑い本来の力を発揮出来なかった。シーズン後半にはFWとして起用される。
 
1997年にはヴェルディに復帰するも出番は少なくシーズン途中に京都パープルサンガへ移籍し途中加入ながら16試合に出場し9得点を決める。
 
1998年には完全移籍でジェフ市原へ。
 
既に30歳となりベテランの域に達していたが第12節までに9得点を挙げて得点ランキング2位に入るなど得点能力の高さを証明。MF廣山望とのコンビで得点を量産した。
 
しかしジェフは下位に低迷し降格を争う事になったが、武田はジェフに在籍した2年間でリーグ戦19ゴールを決めベテランとしてチームを牽引し残留に貢献した。
 
2000年にヴェルディへ復帰するも出番はなくシーズン途中にパラグアイ1部リーグのスポルティボ・ルケーニョへ移籍。33歳での初の海外挑戦となった。
 
武田を評価していた監督が途中解任となった為、リーグ戦出場が2試合のみと出番に恵まれなかった。しかし土のグラウンドで練習から本気でぶつかったり試合に負ければ暴動が起きるようなパラグアイでのプレーはサッカー選手として大きな財産となったと武田は後に語っている。
 
2001年、パラグアイから帰国した武田はヴェルディへ3度目の復帰。
 
前園真聖や小倉隆史らと名門復活に向けて再起を図るがシーズン2得点と奮わずこの年限りで現役を引退した。

武田修宏の引退後と現在

武田修宏は引退後、日本テレビでサッカー解説者を務める傍らテレビタレントとしてバラエティ番組に出演している。
 
2005年に日本サッカー協会公認S級ライセンスを取得しているが指導者としてはまだ実績はなく今後が注目される。
 
現役時代、武田修宏は現在でいうワンタッチゴーラーの先駆けとなり多くのゴールを決めた。
 
ペナルティエリア内での集中力は眼を見張るものがあり、気づいたら絶妙なポジションに位置しワンタッチで決めるというのが主な得点パターンであった。
 
この得点パターンがあまりに簡単に見える事からごっつぁんゴールと呼ばれたが、武田の絶妙な動き出しから的確なポジショ二ングで一発で決めるまでの一連の流れはストライカーとしての才能を十分に感じさせるものだった。
 
ヴェルディ時代はラモス瑠偉やビスマルクという強力なパサーの存在もあったが、当時下位にに沈んでいた京都パープルサンガやジェフ市原でもコンスタントに決め続けた事からも武田の点取り屋としての才能はまさに天性のものであったと感じる。