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第186回 反町康治ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

卓越した技術と積極的なスペースへの飛び出しを生かし、攻撃的MFとして横浜フリューゲルスやベルマーレ平塚で活躍した反町康治。

Jリーグ開幕後も全日空の社員として出場を続けるサラリーマンJリーガーとして注目を集めた。
 
横浜フリューゲルス時代の1993年8月25日のヴェルディ川崎戦ではDFペレイラとの交錯プレーで後頭部から大量の流血を経験するも翌週には復帰を果たすなど強いメンタリティーの持ち主だった。
 
現在、キャリア晩年を迎えた選手が指導者ライセンスを取得するのは真新しい事ではないが、現役Jリーガーとして初めて指導者ライセンスを取得したのは反町康治だった。
 
現在はJリーグを代表する日本人監督として知られる反町康治に迫る。

反町康治のJリーグ入り前

反町は1964年に埼玉県浦和市(現さいたま市)に生まれた。
 
小学校2年の時に静岡県清水市に引っ越しサッカーを始める。オランダのヨハン・クライフに憧れボールを追いかける日々を送った。
 
小学校の時から県大会優勝、全国大会優勝を経験。小学5年時にはドイツ、中学2年時にはセルジオ越後の紹介でブラジル・コリンチャンスへと海外サッカーを経験している。
 
中学校卒業後、清水東高校へ進学。高校ではエースとなり、同学年の沢入重雄(元名古屋)らとチームを牽引し高校総体で2連覇を達成した。
 
この活躍によりサッカー推薦で大学進学が可能であったが、それを固辞し一浪して一般入試で慶應大学へ進学。大学ではサッカーを辞めテニスサークルに入るつもりだったが高校時代の功績が露呈し半ば強制的にサッカー部へと入部した。
 
大学を卒業する時も強豪の実業団への推薦を拒み一般受験で全日本空輸へ入社。パイロットのスケジュール作成などを担当するサラリーマン生活を送りながらサッカーに励む日々を送った。
 
反町が入団した時、全日空は2部リーグ所属であったが入団2年目には1部に昇格。反町はレギュラーを獲得しモネールや前田治らプロ契約の選手達と共にプレーを続けた。
 
1989年、入団3年目のシーズンにはリーグ戦で7得点を挙げる活躍を見せ1990年に日本代表へ抜擢される。
 
北京で行われた1990年7月27日の韓国戦で日本代表デビューを飾った。その後も1991年まで招集され国際Aマッチに通算4試合出場している。
 
1992年に全日空はJリーグ参入の為、横浜フリューゲルスへ改称する。ほとんどの選手がプロ契約を結ぶ中、この時29歳でありプロとしては長く活躍する事が難しいと判断した反町は全日空に籍を置いたままJリーグでプレーする道を選択した。

反町康治のJリーグ入り後

反町は1993年5月16日の第1節清水エスパルス戦でJリーグデビューを飾った。
 
6月26日のサンフレッチェ広島戦ではJリーグ初ゴールをマーク。的確な状況判断とスペースへの果敢な飛び出しを武器に、エドゥーや前園真聖、山口素弘らとフリューゲルスを牽引した。
 
8月25日のNICOSシリーズ第7節ヴェルディ川崎戦では右コーナー付近からクロスをあげようとした反町に対してヴェルディのDFペレイラが激しくぶつかり、反町は後頭部から立看板に激突した。この怪我により夥しい出血をするが第9節のマリノス戦から復帰を果たしている。
 
尚、この事故が元にゴール脇の立看板は5メートル後ろへ配置されるようになった。
 
その後も清水エスパルス戦で堀池巧と空中で競合いをした際に顔面を強打し流血するなどこのシーズンは怪我に泣かされながらもリーグ戦26試合に出場した。
 
翌年の1994年、プロ契約でベルマーレ平塚へ移籍。
 
ベルマーレではベッチーニョや野口幸司らと攻撃を盛り上げ、2列目からの反町の飛び出しはベルマーレの得点パターンの1つとなった。
 
1995年からは中田英寿が加入し、更にベルマーレの攻撃は厚みを増していく。
 
反町は1997年に引退するが引退するまで全シーズン2桁試合出場を果たした。

反町康治の引退後と現在

反町は現役最終年から将来を見据え、指導者ライセンスを取得。引退後は単身スペインへ渡り、1年4ヶ月もの間コーチ留学を経験した。
 
2001年、J2のアルビレックス新潟監督に就任し、2003年にチームをJ1昇格に導いた。
 
2006年からは北京オリンピックを目指す日本代表監督に就任。日本代表のコーチも兼任。
 
2009年からは湘南ベルマーレ、2012年からは松本山雅FCの監督を務めている。
 
反町康治は自分の生き方についてインタビューであまのじゃくであると語っている。
 
高校で日本一となり、推薦入学が可能であるにも関わらず一浪して一般入試から難関大学へ入学。
大学卒業後も丸紅と全日空から内定を貰い、全日空の先輩から丸紅を勧められて、全日空に入った。
Jリーグが華々しく開幕してもプロにはならず社員選手を選択した。
 
スペインに留学した時もクラブに断られながらも3週間に渡り粘り強く交渉し信用を得ると毎日語学学校に通いながら勉強する日々を送った。
 
指導者となってからもアルビレックス新潟をJリーグで最大動員数を記録する人気チームへ導き、松本山雅FCでも多くの番狂わせを演じている。
 
反町康治の経歴を見ると一見エリートに見えるが、実は周りに流されずに自身の力で道を切り開いてきた確固たる信念を感じる。
 
実に大胆であり、冷静であり、常に予想を裏切ってくれる。
 
だから反町康治のサッカーは面白い。