選手一覧はこちらをクリック
FW

第172回 平瀬智行ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

シドニーオリンピック予選で12試合で17得点を挙げ一気に知名度を上げた平瀬智行。

184センチの長身から繰り出される豪快なヘディング、足元の柔らかいテクニック、相手の裏を取れる快速など平瀬智行はストライカーの資質に恵まれたプレイヤーだ。

2000年には鹿島アントラーズでリーグ戦11得点を挙げ、Jリーグ初の三冠(J1、ナビスコ杯、天皇杯)制覇を経験。日本代表にも選出された。
 
ペナルティエリアの仕事人、平瀬智行に迫る。

平瀬智行のプロ入り前

平瀬は1977年に東京都板橋区に生まれ4歳の時に鹿児島県へ引っ越している。
 
さつき幼稚園の時にスポーツ好きの父親の影響でサッカーを始めた。
 
西陵小学校2年生までは空手を習い、3年生の時に地元のクラブチームに所属した。
 
西陵中学校進学後、中学3年時に全国大会出場を果たし、サッカーの名門である鹿児島実業高校へ進学する。
 
平瀬は高校1年時からレギュラーとして起用され3年の城彰二と2トップを組み、1年生ながら高校総体得点王となった。
 
高校サッカー選手権には3年連続で出場し、2年時にはベスト8、3年時には3回戦の鵬翔(宮崎)、準々決勝の室蘭大谷(北海道)と、2試合連続ハットトリックを決め、決勝では静岡学園とスコアレスドローで両校優勝という結果を収めた。
 
平瀬はこの大会で得点王を獲得。この活躍で鹿島アントラーズと名古屋グランパスからオファーを受ける。
 
当時鹿島にはジーコを筆頭にレオナルド、ジョルジーニョが所属、その圧倒的な選手層の厚さに惹かれて平瀬智行は鹿島に入団を決める。

平瀬智行のプロ入り後


鳴り物入りで鹿島アントラーズに入団した平瀬だったが、入団後2年間はリーグ戦1試合の出場に留まる。
 
高校とプロとの間の大きな技術の差を感じるが、3年目に鹿島と提携のあるブラジルのクラブCFZ・ド・リオへ1年間の期限付き移籍を経験。
 
ここで平瀬はレギュラーとして活躍しフラメンゴやバスコダガマといった強豪チームとの練習試合も経験。自信を取り戻した。
 
帰国後、アジアクラブウィナーズカップで平瀬は4得点を挙げる。この活躍を見たオリンピック代表監督であるトルシエの目に留まり、平瀬はシドニーオリンピック出場を目指すU23日本代表に選出される。
 
シドニーオリンピックアジア最終予選で3試合連続で2ゴールをマークして、2大会連続出場に貢献。日本のオリンピック予選史上最多となる17ゴールをマークした。
 
オリンピックでは同じポジションの柳沢敦、高原直泰が起用され、平瀬は2試合の途中出場に留まったがオリンピックと同じ年、鹿島でJリーグ初の三冠(J1リーグ、ナビスコ杯、天皇杯)を制覇する。
 
リーグ戦11得点を挙げ鹿島アントラーズのエースとなった平瀬は、CMへの起用やバラエティ番組への出演もありその知名度は全国区となった。
 
同年、トルシエ監督からフル代表にも抜擢され2月5日のメキシコ戦で日本代表デビューも飾った。
 
しかし翌年はリーグ戦23試合に出場しノーゴールに終わると2002年シーズン途中に横浜Fマリノスへ半年間のレンタル移籍を経験する。
 
2003年に鹿島に復帰後、小笠原満男と最多タイに並ぶ7ゴールを挙げチーム内得点王になるも再び不振に陥り、2004年シーズン途中にヴィッセル神戸へ移籍した。
 
神戸では得点数は少ないながらも貴重なバックアッパーとして起用される。
 
試合を決定づける得点を重ねた事で、サポーターから「平瀬様」「14番様」などと神様的存在で慕われた。
 
2008年にはJ2のベガルタ仙台へ移籍。
 
移籍1年目はリーグ戦38試合に出場し11得点をマーク。復調の兆しを見せた。
 
加入2年目の2009年にはリーグ戦8ゴールを挙げベガルタ仙台のJ2優勝とJ1昇格に貢献。
 
天皇杯でも準々決勝でゴールを挙げてベガルタ仙台史上初のベスト4進出に貢献した。
 
2010年は2シーズン振りのJ1となったが怪我もありリーグ戦11試合でノーゴールに終わりこのシーズン限りで一度現役を引退した。
 
2013年に東北2部リーグのブランデュー弘前へ入団。
 
弘前でサッカースクールを開催しながらリーグ戦にも2017年まで出場した。

平瀬智行の引退後と現在

平瀬智行は引退後、2018年2月、ベガルタ仙台のクラブコーディネーターに就任。
 
自身の経験を伝え、サッカーの指導、解説などさまざまな分野に活動の幅を広げている。
 
平瀬は現役時代、ブラジルから帰国後の2000年シーズンから2001年にかけて目覚ましい活躍を見せた。
 
中田英寿や中村俊輔のパスを豪快にゴールに沈める平瀬智行のシドニーオリンピック予選の活躍を見て、その後のオリンピック、そして日韓ワールドカップへの期待を抱いた人も多いだろう。
 
その後の平瀬はストライカーとしては満足のいく結果を残せなかったが、現役晩年の仙台では両サイドに大きく開きタメを作るプレーや、身体を張ったポストプレー、味方のためにおとりになるなど献身的な選手となった。
 
ゴールを狙うストライカーからチームの為に戦える選手へと変貌を遂げたのだ。
 
個人的にはフィニッシャーとして注目を浴びていた若かりし頃の平瀬智行もいいが、チームの為に献身的に汗をかいていた晩年の平瀬智行も好きだ。