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第163回 鈴木正治ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

1995年は鈴木正治にとってまさに飛躍の年となった。

リーグ戦50試合に出場し、横浜マリノスの年間優勝の立役者となるとJリーグベストイレブンに選出され、日本代表としてもデビューを飾ったのだ。

卓越したボールコントロールと華麗なドリブル突破で左のスペシャリストと呼ばれた。

技巧派の左サイドバックとして知られた鈴木正治に迫る。

鈴木正治のプロ入り前

鈴木は1970年に静岡県焼津市に生まれた。
 
静岡県焼津市立焼津東小学校2年の時にサッカーを始める。
 
焼津中学校時代は東海選抜の一員として全国中学選抜大会優勝を経験した。
 
中学校卒業後、サッカーの名門である静岡学園高等学校に進学。
 
高校2年の時にキャプテンとして静岡県新人戦の優勝を経験。鈴木の2年後輩には後の日本代表となる今藤幸治がいた。
 
1989年に静岡学園高を卒業後、日産自動車サッカー部(現横浜F・マリノス)に入部する。
 
加入初年度はリーグ戦5試合に出場。静岡学園仕込みのテクニックとゴールキーパー以外どこでもプレー出来る器用さで早くから注目された。
 
日産には日本代表の平川弘がいたが、オスカー監督に左サイドバックへと抜擢され、加入2年目にはレギュラーを掴みリーグ戦22試合に出場した。
 
またこの年、同僚の永山邦夫と共にU-23日本代表に選出され、バルセロナ五輪アジア予選に出場している。
 
日産では日本リーグ優勝2回、天皇杯優勝3階を経験した。
 
1992年、日産は横浜マリノスへ改称しJリーグ開幕を迎える。
 
鈴木正治は横浜マリノスでJリーガーとなった。

鈴木正治のプロ入り後


Jリーグ開幕後、横浜マリノスの左サイドバックには1992年に日本代表に復帰した平川弘が起用される。
 
鈴木はリーグ戦5試合の出場に留まり、シーズン通じてベンチ入り出来ない試合が続いた。
 
しかし1994年サントリーシリーズ序盤にレギュラーの座を掴む。
 
センターバックの井原正巳小村徳男、右サイドバックの鈴木健仁と共にDFラインを形成した。
 
1995年は開幕試合の鹿島アントラーズ戦から先発出場を続けると、第4節のジェフ市原戦ではJリーグ初ゴールをマークした。
 
小柄ながらも独特なテンポのドリブルで横浜マリノスの左サイドバックに定着した鈴木はこの年に加茂周監督の下で日本代表に抜擢された。
 
国立競技場で行われた10月24日のサウジアラビア戦で怪我の相馬直樹に代わって後半から代表デビューを飾った。
 
日本代表としては翌年のオーストラリア戦でにも先発出場。小村、井原と共にマリノスDFラインで臨むも試合は0-3で敗戦。鈴木はこの試合を最後に代表に招集される事はなかった。
 
1995年はチーズトップとなるリーグ戦50試合出場、4得点を記録し横浜マリノスの年間優勝に貢献。鈴木は自身初となるJリーグベストイレブンに選出された。
 
1996年はシーズン中盤に怪我で離脱する時期がありながらも終盤には復帰し、主に左ウイングバックとしてリーグ戦27試合に出場。
 
1997ねんはナビスコ杯へは出場するものの、リーグ戦での出場機会はなくシーズン途中に名古屋グランパスへ移籍。
 
1stステージ第7節柏レイソル戦で名古屋グランパスでのデビューを果たすも前半16分に膝の負傷で途中交代。
 
この怪我の手術とリハビリで残りのシーズンを棒に振ることになった。
 
翌年1998年に復帰を果たすも、このシーズンも怪我の影響でリーグ戦1試合の出場に留まる。
 
このシーズンで名古屋の契約も終了し、鈴木正治は28歳の若さで現役を引退した。

鈴木正治の引退後と現在

鈴木は引退後、東京・青山で友人と3人で飲食店を経営。
 
その後、マリノスの先輩である木村和司に誘われる形で指導者の道を歩み始める。
 

2006年からテレビ神奈川『キックオフ!!F・マリノス』のMCを9年間務め、学研パブリッシングの雑誌『ストライカーDX』において、国内外のサッカー選手の技術解説、実演を担当した。

現在もジュニアユース年代の育成に関わっている鈴木正治。
 
鈴木はこの年代の育成についてインタビューでこう話している。
 
「子供たちが自分のプレーに関して『今のプレーはどう対応すればよかったですか?』と聞いてくれた時は、成長を実感できるし、3年間かけて指導してきてよかったなと思えます」
 
鈴木は大学生やトップチームの指導に関わる予定は今のところ考えていないという。それだけやりがいを感じているのだろう。
 
私自身先日、ジュニアユース年代の育成にあたるJFA指導者C級ライセンスを取得したがこの年代への指導は本当に奥が深いと感じた。
 
考えてサッカーが出来る選手を育てていくには選手1人1人と向き合いながら、いかにして気づきを与えて成長を促す事が出来るかが重要になってくる。
 
ジュニアユース年代からユース、プロとなっていく選手はほんの一握りだ。
 
日本のサッカー人口の99.8パーセントがアマチュアで、プロとしてサッカーを生業とできる人間は僅か0.2パーセントと言われている。
 
サッカーしか知らない大人にならないために、サッカーを通じて人間として成長出来るために、鈴木のように信念を持ってジュニアユース年代の育成にあたる指導者を増やしていく事が日本サッカーの発展に繋がっていくのだろうと思う。