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GK

第160回 古川昌明ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

Jリーグ元年、記念すべき鹿島アントラーズの1stステージ制覇に貢献したGK古川昌明。

1993年は鹿島アントラーズ唯一となる全試合フル出場を果たし、日本代表にも選出された。
 
安定したキャッチングと勇猛果敢な飛び出しで何度もチームのピンチを救った。
 
プレーだけでなく甘いルックスから女性ファンも多く、全国区の人気を誇ったアルシンドやジーコらと共に中心選手として注目された。
 
鹿島アントラーズ創世記の守護神、古川昌明に迫る。

古川昌明のプロ入り前

古川は1968年に千葉県千葉市に生まれた。
 
サッカーを始めたのは遅く、小学校6年生の時だった。
 
蘇我中学校1年生の時に、先輩GKが怪我を負った事がきっかけでGKにコンバートされる。
 
中学校卒業後、市原緑高校へ進学。同学年にはマリノスなどで活躍した松橋力蔵、2学年上には共に鹿島アントラーズでプレーをする事になる石井正忠がいた。
 
高校時代は千葉県ベスト4まで進出したものの、全国高校サッカー選手権への出場は叶わなかった。
 
高校を卒業した古川は1987年に日本サッカーリーグ1部の本田技研工業サッカー部(現・Honda FC)に加入。
 
同い年には同期就職に北澤豪、黒崎久志がいた。
 
しかし出場機会に恵まれず、1991年にはGKが不足しているという理由から、埼玉県リーグの本田技研狭山サッカー部(現・ホンダルミノッソ狭山FC)への移動が命じられる。
 
練習グラウンドも芝から土に変わり、労働時間も長くなるなど環境は大きく変わったがここで古川は腐らずに黙々と練習に励み、狭山サッカー部の関東リーグ昇格に貢献。
 
1991年6月、古川は更なるレベルアップを求めてブラジル留学を決意。
 
狭山の退職金と車の購入費用で貯めていた300万円を使い、実費でブラジルへ渡る。
 
最初の半年はサンパウロの田舎町にある小さなクラブで修行を積み、知人の伝手を頼り元ブラジル代表監督であるテレ・サンターナと知り合う。
 
その後、サンターナが監督を務めるサンパウロFCでの練習に参加。トップチームの試合にも帯同し、1年2ヶ月の充実した留学を経験した。
 
帰国後、本田技研の同期である黒崎久志の紹介により1992年に鹿島アントラーズに加入する。

古川昌明のプロ入り後


古川は1993年5月16日の第1節名古屋グランパスエイト戦に先発出場を果たす。
 
その後も安定した守備と的確なコーチングで守護神として君臨し、1stステージ優勝に貢献した。
 
日本代表にも選ばれ、1993年9月のスペイン遠征に帯同したが公式戦の出場はなかった。
 
同年に行われた2ndステージ覇者のヴェルディ川崎とのチャンピオンシップとなり、敗れはしたもののビッグセーブを連発した。
 
その後も鹿島の正GKとして出場を続けるも度重なる怪我により、1997年頃から佐藤洋平や高桑大二朗にポジションを奪われていく。
 
1998年途中からはアビスパ福岡に期限付き移籍するも出場機会は1試合のみに留まった。
 
1999年鹿島アントラーズに復帰し、2シーズン過ごしたが出場機会はなくこの年限りで現役を引退した。

古川昌明の引退後と現在

古川は引退後、ブラジルに渡りGKコーチの経験を積んだ。
 

コリンチャンスやCFZジュニオールチームなどへのコーチ留学を経験した。

当時のコリンチャンスのGKにはブラジル代表のジダがいた。

帰国後、2003年から2008年まで川崎フロンターレのGKコーチを務めた。

鹿島アントラーズでのGKコーチ歴任後、2019年からは東北社会人リーグ1部のいわきFCのGKコーチとして活躍している。
 
古川昌明は、狭山工場勤務時代の挫折をバネに、ブラジルで飛躍的な成長を遂げた。
 
古川は自身について決して強くない人間であると後年のインタビューで語っている。
 
強くない人間だが、22歳でブラジルに渡り言葉も通じない所でサッカーに打ち込み、暗闇の時期を乗り越えた。
 
古川は言う。
 
「成功してもしなくても、これをやってみようと思ったことを一生懸命やれば、たとえ失敗に終わったとしても自分のためになっているはず、絶対に。」
 
この古川のストレートな言葉が響く人は多いと思う。
 
重要なのは結果ではない。自分がやりたいと思った事を一生懸命にやる事こそが重要なのだ。真剣に打ち込んだ人間には、結果は必ずついてくる。
 
周りを気にして、適当な言い訳をして逃げるのは簡単だ。勝手に限界を決めて、他人や環境のせいにして逃げてしまうのも簡単だ。
 
しかし、自分の人生だ。
 
一度きりの人生である。他人や常識に左右される人生はあまりにも悲しい。ダメもとでもやるだけやってみるから面白いのではないだろうか。
 
逃げているのはいつも自分自身なのである。
諦めない限り、夢は絶対に逃げない。