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第156回 山口敏弘ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

日本人離れした身体能力と強力なシュートが魅力の山口敏弘。

1994年はガンバ大阪で16得点をマークしチーム得点王、1995年はチームアシスト王を記録。
加茂周監督やファルカン監督に召集され1994年から1995年にかけて日本代表として4試合に出場。
最前線だけではなく、右サイドハーフとしても多く起用された。
ストライカーとしてはもちろんのことサイドアタッカーとしてもその運動能力を生かしたプレーで活躍した山口敏弘に迫る。

山口敏弘のプロ入り前


山口敏弘は1971年に熊本県に生まれた。
山口敏弘は大阪府に転居し高槻松原サッカークラブで本格的にサッカーを始める。
摂津第三中学校を経て、サッカーの強豪である北陽高校へ進学。
高校3年時には背番号10を背負い、チームのエースストライカーとして活躍。
高校総体では全国ベスト4、全国高校サッカー選手権では1回戦で東京学館新潟を8-0、2回戦で韮崎高校を1-0で破りベスト16に進出するも仙台育英に0-2で敗れた。
山口は北陽高校卒業後、近畿大学へ進学。
1991年、大学2年時にバルセロナオリンピック出場を目指すU21日本代表に選出。
アジア1次予選では台湾戦で2得点、香港戦でハットトリックを決める活躍を見せたが、最終予選には選出されなかった。
1993年、近畿大学を中退してオファーを受けていたガンバ大阪へ入団する。

山口敏弘のプロ入り後

サントリーシリーズは出番がなかったが、ナビスコ杯で5試合に出場し3得点を挙げる活躍を見せる。
10月16日のナビスコ杯サンフレッチェ広島戦では背番号10を背負い、ガンバ大阪のエースである永島昭浩と2トップを組み2得点を挙げ5-0の勝利に貢献。
NICOSシリーズからは出場機会を得て、第16節横浜フリューゲルス戦でJリーグ初ゴールをマークした。
1994年、2年目のシーズンを迎えた山口敏弘は開幕戦のジェフ市原戦、続くサンフレッチェ広島戦と2戦連続でゴールを決める。
第7節のベルマーレ平塚戦ではハットトリックを記録するなど好調をキープする。
この活躍を受けてファルカン監督により日本代表に抜擢される。
ファルカンは山口の他にも、小倉隆史や岩本輝雄、前園真聖など若手選手を中心に召集する。
山口は7月8日のガーナ戦で代表デビューを飾る。右サイドハーフで先発し、岩本輝雄のヘディングでの得点をアシストした。
後半は本来のポジションであるFWに上がり、持ち味である力強いドリブル突破とトリッキーなシュートで何度かチャンスを作るも得点はあげられなかった。
山口はこのシーズン、Jリーグでもシーズン通して活躍しリーグ戦39試合に出場し16得点を挙げた。

プロタソフ、松波正信、森岡茂など様々な選手と2トップを組み、NICOSシリーズ第15節横浜フリューゲルス戦では礒貝洋光と2トップを組む。

急造であるにも関わらず山口はこの試合で2得点を挙げるなどどの選手と組んでも結果を残せる順応性の高さを見せた。
1995年も好調を維持し、加茂周監督により日本代表に招集され1月のナイジェリア戦、アルゼンチン戦に先発出場。
しかしナイジェリアに0-3、アルゼンチンに1-5で敗れ以降招集はなく、山口はこの試合が代表での最後の試合となった。
Jリーグでは前年より得点は少なかったものの41試合に出場し9得点をマーク。チーム1となるアシスト数を記録し攻撃陣を牽引した。
1996年はMFとしての出場が増える。サントリーシリーズは無得点に終わり、出場機会も減少した山口はシーズン途中に京都パープルサンガへ移籍。
下位に低迷する京都の起爆剤として期待されるも1996年は無得点、1997年は7試合の出場に留まり1得点に終わるとこのシーズン限りで戦力外通告を受けた。
1998年前半は何処とも契約を結ばずに、佐川急便での練習参加を経て6月にサンフレッチェ広島へ加入。
ここで山口は復活を果たし、攻撃的MFとしてチームを支える。
得点数は少なかったものの、サイドをスピード溢れるドリブルで駆け上がり効果的なラストパスを出すなど攻撃の起点となった。
ガンバ大阪時代の点取り屋からサイドアタッカーへ見事な転身を見せた。
サンフレッチェ広島では2000年までプレーし山口敏弘はこの年限りで現役を引退した。

山口敏弘の引退後と現在

山口敏弘は引退後、芸能人女子フットサルチームの一つ、「Team Good」(現・ZENT sweeties)のコーチも務めていた。

現在はサッカー界から離れ、飲食店を経営している。

山口敏弘といえば1994年、1995年のガンバ大阪時代の華やかな点取り屋時代が有名だが、1998年、1999年のサンフレッチェ広島時代にアタッカーとして見事に復活を果たしたこのシーズンも素晴らしい活躍を見せた。
残念ながら日本代表には定着出来なかったが、強烈なシュートを打つと見せかけての意表をついたトリッキーなプレーや、変幻自在なドリブルには子供ながらに胸を熱くさせられた。