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GK

第148回 下田崇ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

サンフレッチェ広島に17シーズン在籍し、リーグ戦331試合を戦った守護神、下田崇。

派手なスーパーセーブこそ少ないものの、的確な判断と安定したプレーが特徴の堅実なGK。
 
1996年、アトランタオリンピックのマイアミの奇跡では川口能活のサブとしてベンチ入りを果たし、1999年には日本代表としてブラジル戦でA代表デビューを飾った。
 
下田崇は1998年1stステージ第1節から2001年第9節まで連続118試合フルタイム出場を果たすなど、絶対的な守護神として長らくサンフレッチェのゴールを死守した。
 
2003年シーズンには1試合で2本のPKを止めるなど、シーズンを通してPKを全て止めるという快挙を達成した。
 
寡黙ながらも熱い魂をもった守護神、下田崇に迫る。

下田崇のプロ入り前

下田崇は1975年に広島市南区上東雲町に生まれた。
 
比治山小学校4年生の時に兄の影響でサッカーを始めるが、それまではリトルリーグで活躍する野球少年だった。
 
小学校では主にFWとして、広島市立段原中学校時代は攻撃的MFとしてプレーをしていた。
 
中学校卒業後、サッカーの名門である広島県広島皆実高等学校に進学。
 
下田が1年時に監督の勧めもありGKに転向し本格的に取り組み始めた。
 
高校時代は広島工業や山陽高校の前に広島県予選を勝ち上がれず全国選手権の夢は叶わなかった。
 
1993年、3年生の時に香川・徳島国体選抜として出場したことが唯一の全国大会での成績となった。
 
高校卒業後は明治大学へ進学するつもりだったが、同年の夏に潜在能力の高さを評価され地元のサンフレッチェ広島からスカウトを受ける。
 
下田は大学進学を辞め、サンフレッチェ広島への入団を決意する。

下田崇のプロ入り後


入団後、ルーキーイヤーの年にサンフレッチェ広島は1stステージ優勝を飾るも、前川和也、河野和正の実力者の前に下田崇は出場機会を得られなかった。
 
しかし同年に初めての年代別代表となるU-19日本代表に選ばれ本田征治の控えとしてAFCユース選手権にベンチ入り、翌1995年にはU-20日本代表に選ばれワールドユース・カタール大会に2試合出場を果たす。
 
Jリーグでも1995年7月8日 Jリーグ第22節対浦和レッドダイヤモンズ戦で河野和正の負傷による途中交代でJリーグデビューを飾る。
 
また1996年に行われたアトランタオリンピック五輪日本代表に選ばれ、川口能活の控えとして予選・本戦を通じて全試合にベンチ入りを果たしマイアミの奇跡もベンチで体験するなど下田崇は早くから頭角を現した。
 
1998年、それまで正GKを務めていた前川和也が肩の負傷により長期欠場となる。下田は前川に代わる正GKに抜擢され、その後1998年1stステージ第1節から2001年第9節まで連続118試合フルタイム出場するなど、広島の新守護神となった。
 
1999年、フィリップ・トルシエ日本代表監督により代表初招集を受ける。
 
3月31日の対ブラジル戦(国立)では先発に抜擢され初キャップを記録するもアモローゾとエメルソンに決められ、0-2で敗れている。
 
日本代表としてはその後も定期的に招集を受けるも、川口能活、楢崎正剛の牙城は崩せずこのブラジル戦が下田にとって最初で最後の代表戦となった。
 
2002年にサンフレッチェ広島はJ2へ降格するも、下田は残留を表明。J2では10連勝を飾り、下田はこのシーズンPK阻止率100%という偉業を成し遂げ1年でのJ1復帰に貢献した。
 
共に戦った元日本代表のDF上村健一はこのシーズンの下田について「元々あるキャッチング能力の高さに加え、際どいシーンでもパンチングで飛び出すシーンが増え、フィールドプレーヤーの目から見ても守備範囲が広くなった」と評している。
 
また下田はこのシーズンJ2から唯一の日本代表に選出されている。
 
2004年からは選手会長を務め、2005年にはJ1通算200試合出場を果たすも、10月に右膝靱帯断裂の大怪我を負う。
 
しかし2006年には復帰し再び正GKとしてゴールマウスを守り、ジーコ監督により日本代表へ招集を受けた。
 
2008年は左膝の手術の影響により出場機会0に終わると、その後は西川周作や佐藤昭大ら若手GKの台頭もあり2010年まで出場機会はなく、このシーズン限りで現役を引退した。

下田崇の引退後と現在

下田は2011年より、広島のトップチームゴールキーパーコーチに就任。
 
2017年12月、2020年の東京オリンピックを目指すU-20日本代表のゴールキーパーコーチに就任し、2018年4月よりサッカー日本代表(A代表)のゴールキーパーコーチも兼任している。
 
下田崇は現在時代、DFや味方に対して声を荒げたり叱責するようなシーンが殆ど見られなかったように思う。
 
GKは常に緊張感に包まれているのは言うまでもない。
 
最後の砦というポジションで、チームを鼓舞する為にも、相手選手を威嚇する為にも闘志を剥き出しに気迫溢れるプレーをするGKが多い中、下田崇は常に冷静に落ち着いた対応で安定したプレーでサンフレッチェを支えていた。
 
どちらのスタイルが正しいという訳ではないが、下田崇からはチームを心から信頼している安心感が漲っていたのは事実だ。