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第124回 曺宰溱(チョジェジン)ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

ヘディングが強く、クサビを受ける動きやポストプレーに長ける韓国人FW曺宰溱(チョ・ジェジン)。

韓国が誇る大型ストライカーはJリーグでは清水エスパルスやガンバ大阪で6シーズンを過ごし、リーグ戦で通算55ゴールを叩き込んだ。
 
韓国代表としてもアテネオリンピックやドイツワールドカップで活躍し、代表戦40試合に出場し10得点を記録。
 
チョ・ジェジンは欧州でのプレーに強い憧れを持っており、2007年には念願のプレミアリーグのニューカッスルへ移籍が実現しかけたが長年患っていた先天性股関節異形成の悪化で移籍は夢となってしまった。
 
大きな才能がありながらも30歳でピッチを去った悲運のストライカー、チョ・ジェジンに迫る。

曺宰溱(チョジェジン)のJリーグ入り前

チョジェジンは1981年に大韓民国の京畿道坡州市に生まれる。
 
小学校1年の時にサッカーを始め、大新中学校卒業後に大新高校へ進学。
 
高校時代はU18韓国代表に選出され、早くから将来を嘱望された。
 
チョジェジンは2000年、高校卒業後にKリーグの水原三星ブルーウィングスに入団。
 
185センチの長身と強靭なフィジカルを武器に活躍が期待されるも1年目はリーグ戦5試合の出場に留まりノーゴールに終わった。
 
その後もU19代表選出など年代別代表には選出されるもののクラブチームでは出場機会に恵まれず、徴兵軽減措置が認められずに2002年からは韓国軍に入隊して光州尚武フェニックスに所属した。
 
チョジェジンはここで精細に富んだ足技とスピードを生かしたプレーを見せ、プロ4年目にしてレギュラーに定着。リーグ戦31試合に出場し3得点を挙げた。
 
2004年に、2年間の兵役を終え古巣の水原三星へ復帰するも出場機会は少なく、シーズン途中にJリーグの清水エスパルスへ移籍することとなる。

曺宰溱(チョジェジン)のJリーグ入り後


エスパルスには7月に完全移籍を果たしたが、アテネオリンピック出場の為、チョジェジンは日本を離れた。
 
アテネオリンピックでは予選リーグのマリ戦で57分、59分と立て続けにヘディングでゴールを決め韓国の決勝トーナメント進出に貢献する。
 
韓国は準々決勝でパラグアイに2-3で敗れるが、チョジェジンはこの大会で結果を残した事によりかねてから憧れていた海外でのプレーを強く意識するようになった。
 
U23韓国代表としても好調を維持していたチョジェジンはエスパルスに加入直後から結果を出す。
 
8月29日の2ndステージ第3節ガンバ大阪戦でJリーグデビューを飾ると続く第4節のサンフレッチェ広島戦で初ゴールを決めた。
 
北嶋秀朗やアラウージョと2トップを組み、チョジェジンは得点力不足に悩むエスパルスのストライカーとして結果を出し、12試合に出場し7ゴールを挙げた。
 
2005年は1シーズンを通してエスパルスでプレーするが相手チームの厳しいマークに合い、エスパルスの不調もあり29試合に出場し9ゴールに終わる。
 
2006年はドイツワールドカップ韓国代表に選出され、グループリーグ全ての試合に出場。
 
Jリーグでも32試合で16ゴールを決める。新人の岡崎慎司と2トップを組む試合もあった。
 
チョジェジンの活躍もあり、エスパルスは開幕から上位につけ最終的には4位でシーズンを終えた。
 
2007年9月にはジュビロ磐田とのダービー戦でロスタイムにダイビングヘッドで決勝点を挙げるなど3試合連続ゴールを決める。
 
このシーズンも13ゴールを挙げ、好調を維持していたチョジェジンは12月、念願のプレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドと契約の可能性が報じられた。
 
パク・チソン(マンチェスター・ユナイテッド)、イ・ヨンピョ(トッテナム・ホットスパー)、ソル・ギヒョン(フラム)、イ・ドングク(ミドルスブラ)に続き、5人目の韓国人プレミアリーガーとなるかと新聞各紙で大々的に報じられ、チョジェジンはメディカルチェックの為にイギリスへ向かうが、移籍交渉は決裂しチョジェジンのプレミア移籍は夢と散った。
 
当時は「アラーダイス前監督が獲得を強く望んでいたが、直前で解任されたために話がなくなった」と報じられたが、後年にチョジェジンは以前から悩まされていた先天性股関節異形性による怪我が問題になったと明かしている。
 
プレミアリーグでのプレーが白紙になったチョジェジンはKリーグの全北現代へ移籍。
 
2009年にはガンバ大阪へ2年契約で完全移籍。
 
前半戦はスタメン出場を続け、開幕から15試合で7ゴールを奪うもシーズン後半戦は怪我もありスタメンを外れる機会も多く得点も減少したが、それでもシーズンを通して10得点を挙げた。
 
2010年は平井将生や宇佐美貴史といった若手FWの台頭やルーカス、ペドロジュニオールという強力なブラジル人FWの活躍もあり出番は激減。
 
リーグ戦出場10試合、ノーゴールに終わりこの年限りでガンバ大阪を退団した。
 
2011年3月、チョジェジンはスポーツ紙を通して現役引退を表明。
 
長年悩まされてきた股関節の故障が痛みを増し、晩年は試合に出場した際は痛みで眠れず薬も効かないほどであったと明かしている。
 
チョジェジン、30歳での若すぎる引退であった。

曺宰溱(チョジェジン)の引退後と現在

チョジェジンは引退後、31歳でチェリストの女性と結婚。
 
現在は韓国で指導者の道を歩んでいる。
 
2017年、清水エスパルス25周年時にはビデオメッセージを送るなど日本との交流も続いている。
 
チョジェジンは現役時代、プレー以外にもその端正なルックスと高身長、クールな性格から女性ファンも多く、韓国の雑誌やCMでも活躍した。
 
同じ静岡に本拠地を置くジュビロ磐田戦では無類の強さを発揮したチョジェジンはダービー戦について、このような言葉を残している。
 
「ダービーは戦争だ。」
 
寡黙ながらも内に熱い魂をもった韓国人ストライカーチョジェジンは欧州で羽ばたく事は出来なかったが、日本では確かな功績を残した。