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第122回 相馬直樹ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

国際Aマッチ58試合出場のキャリアを誇る日本を代表する左サイドバック、相馬直樹。

守備面ではタイトなマークで相手を封じ込み、攻撃面ではタイミングの良いオーバーラップと正確で絶妙なクロスを武器に好守に貢献した。

長友佑都を始め、三都主アレサンドロ、三浦淳宏、服部年宏、都並敏史など日本歴代左サイドバックの中でも、5年間に渡り日本代表のレギュラーとして活躍した相馬直樹を歴代ベスト左サイドバックに考える人も多いのではないだろうか。

Jリーグでも4年連続でベストイレブンに輝き、リーグ戦304試合出場を記録した相馬直樹の活躍をなくして多くのタイトルを獲得した鹿島アントラーズの黄金期は語ることができない。

相馬直樹のプロ入り前

相馬は1971年に静岡県静岡市に生まれた。

幼稚園の頃に兄の影響でサッカーを始め、清水高部小学校入学後に小学3年生で名門・清水FCに入団する。

チームメイトの藤田俊哉らとともに活躍し、全国少年サッカー大会で全国優勝を成し遂げる。

清水第六中学校卒業後、清水東高校へ進学。ここで相馬は左サイドバックに転向する。

1、2年時には国体を制し、3年時には全国高校サッカー選手権大会に出場を果たしたが3回戦で武南高校に0-1で敗れている。

相馬の1学年下には野々村芳和(元ジェフなど)、2学年下には共にフランスワールドカップで戦う斎藤俊秀がいた。

高校卒業後、相馬は早稲田大学へ進学してア式蹴球部に入部。

大学在学中にバルセロナオリンピック出場を目指す日本代表に選出される。この時、大学生は相馬を含めて澤登正朗や名波浩、藤田俊哉など12人が選出された。

日本は1次予選を5勝1敗で通過。

日本、韓国、中国、カタール、クウェート、バーレーンの6ヶ国が最終予選に進み、上位3ヶ国が出場権を獲得できる状況だったが日本は苦戦を強いられる。

中国に敗戦、クウェートには引き分け、背水の陣で挑んだ韓国戦で相馬はストッパーとして出場するも0-1で敗戦。日本はオリンピック出場を逃し、韓国、カタール、クウェートが出場権を獲得した。

相馬が大学4年時に、全日本大学サッカー選手権大会に出場し、優勝を果たす。

相馬自身もベストDFに選出される活躍を見せた。

そして大学を卒業する1994年、相馬は開幕2年目を迎えたJリーグの鹿島アントラーズに入団する。

相馬直樹のプロ入り後


鹿島アントラーズに入団した相馬は1994年5月18日の名古屋グランパスエイト戦でJリーグデビューをすると1年目からリーグ戦28試合に出場を果たす。

そして2年目の1995年は相馬にとって飛躍の年となる。

日本代表に選出されると5月18日のエクアドル戦でデビューを飾り、以降不動の左サイドバックに定着する。

司令塔の名波浩と息の合った攻撃を見せ、相馬の攻め上がりは日本の貴重な攻撃パターンの一つとなった。

鹿島でもリーグ戦52試合中50試合に出場し3ゴールをマーク。Jリーグベストイレブンに選出された。以降4年連続でベストイレブンに選出される。

1996年には鹿島アントラーズ初となるJリーグ優勝に大きく貢献する。

1997年からはベルマーレ平塚から移籍してきた名良橋晃と鹿島、日本代表でも両翼を担い、鹿島のセンターバック秋田豊も代表の常連となった。

1998年にはフランスワールドカップ日本代表に選出され予選リーグ3試合すべてに出場した。

その後も果敢なオーバーラップで数多いチャンスの演出と、手を抜かないタイトな守備でチームに貢献。

1998年のJリーグ戦優勝、ゼロックス杯を連覇。またクリーンなプレースタイルが評価され、DFとして初となるフェアプレー個人賞を受賞する。

そして2000年にはJリーグ史上初の3冠(リーグ戦、ナビスコカップ、天皇杯)など鹿島アントラーズの多くのタイトル獲得に貢献した。

しかし2000年12月の天皇杯準決勝のガンバ大阪戦で、左ヒザ外側半月板を損傷しプロ入り後初の大怪我を負い戦線を離脱する。

約1年間をリハビリに費やし、2001年に復帰するもリーグ戦の出場は7試合に留まり、翌年に東京ヴェルディへレンタル移籍。

リーグ戦27試合に出場し主軸として活躍し1年間のレンタル期間を終えて鹿島に復帰するもこのシーズンが相馬が鹿島で過ごす最後のシーズンとなった。

2004年に当時J2の川崎フロンターレへ移籍。

相馬はフロンターレで左サイドバックだけでなくボランチやリベロとしてもプレー。

移籍1年目はリーグ戦15試合の出場に留まるがベテランとしてチームを支え、フロンターレのJ1昇格に貢献した。

2005年はリーグ戦12試合に出場に留まり、相馬はこのシーズン限りで現役を退いた。

相馬直樹の引退後と現在

相馬は引退後、サッカー解説者として主にTBS系列やスカパー!の中継番組に出演。

2008年からは川崎フロンターレU-18のアシスタントコーチを務め、2010年にFC町田ゼルビアの監督に就任するが1年で退任する。

その後は古巣である川崎フロンターレの監督、モンテディオ山形のヘッドコーチを歴任し2014年からは再びFC町田ゼルビアの監督として指揮を執っている。

就任2年目の2015年にJ2昇格を果たし、就任5年目にはクラブ史上最高位となる4位でシーズンを終えるなど確かな手腕で町田の躍進を支えている。