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第89回 中払大介ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

豊富な運動量とスピードに乗ったドリブルを武器にアビスパ福岡や京都パープルサンガで活躍した中払大介。

細かなボールタッチやトリッキーなフェイントという足元の技術もしっかりした選手で、センスのあるゲームメイクを見せた。

何度も降格の危機に陥ったチームの中で、中払は背番号10を背負い、チームの中心として牽引し続けた。
 
FW・2列目・ボランチ・サイドハーフと、数多くのポジションをこなせる攻撃のキーマン、中払大介に迫る。

中払大介のプロ入り前

中払は1977年に神奈川県に生まれ、幼少期に静岡県に転居する。
 
静岡市立清水高部小学校に通いながら、少年サッカーの強豪である清水FCに所属する。
 
第3回全国少年少女草サッカー大会では優勝に貢献。中払は大会優秀選手に選ばれた。
 
静岡市立清水第六中学校卒業後、清水東高等学校へ進学。
 
中払の1つ上には西澤明訓(元日本代表)、2つ下には高原直泰(元日本代表)がいた。
 
全国高校サッカー選手権は、強豪揃いの静岡県の中で勝ち抜くことが出来ず全国大会へは進めなかったが、中払は静岡県選抜に選出。
 
SBSカップでは静岡県選抜の背番号10を背負い、全日本ユースやパリ・サンジェルマンユース(フランス代表)、キンゼ・デ・ジャウーユース(ブラジル代表)と戦い、静岡県選抜は3位に輝いた。
 
1996年、中払は高校卒業後、この年からJリーグに参入したアビスパ福岡に入団する。

中払大介のプロ入り後


加入初年度は出場機会がなかったものの、2年目にはレギュラーを獲得。リーグ戦27試合に出場して2得点を挙げた。
 
同期であり元日本代表のFWである山下芳輝と相性のあったコンビネーションでアビスパの攻撃陣を牽引するも、アビスパは下位に低迷する。
 
アビスパは1996年は15位、1997年、1998年は2年連続で最下位となり降格争いに巻き込まれるが残留を果たす。
 
中払は1999年からは背番号を10に変更。
 
元日本代表のGK小島伸幸、三浦泰年、ジェフからは元ユーゴスラビア代表のマスロバルを獲得し奮闘するも最終順位は14位に終わった。
 
この年の1月、中払はU22日本代表候補に選出。
 
アビスパからは中払の他に、藤本主税、山下芳輝が選出された。
 
中払は活躍を期待されたが2月に怪我の為に辞退し、これ以降選出されることはなかった。
 
アビスパ福岡では2000年の第2ステージでは優勝争いに絡むも、2001年にはJ2降格。中払は京都パープルサンガ(現京都サンガ)へ移籍した。
 
中払は朴智星や松井大輔、黒部光昭らと連動。京都は年間順位5位と躍進、天皇杯では優勝に貢献した。
 
しかし2003年、京都は年間順位が最下位となりJ2に降格。中払は2度目の降格を味わったが京都に残留。
 
2005年には京都のキャプテンを務め、京都のJ2優勝に貢献。J1復帰を果たした。
 
2006年もキャプテンを務めるもシーズン当初から京都は低迷し、11月26日のG大阪戦に敗れ最下位が決まり、またもやJ2降格が決定してしまう。
 
中払は2007年は京都でプレーするも出場機会が減少し、2008年に古巣であるアビスパ福岡へ移籍。
 
2シーズンプレーし、福岡を退団。その後、移籍先を求めて韓国の大田シチズンへ練習参加するも加入には至らず32歳で現役を引退した。

中払大介の引退後と現在

中払は引退後、持ち前の明るさを生かしてスカパー!のサッカー解説者や福岡のFBSでスポーツコメンテーターとして活躍している。
 
中払は天皇杯決勝を経験するが、JリーグではJ2降格とJ1昇格を2度ずつ経験することとなるなど天国と地獄を味わう現役生活だった。
 
しかし尽きることのないスタミナを生かしてピッチ内を走り回り、攻撃に欠かせないピースとなった中払の存在は貴重であり、創世記からアビスパを愛するサポーターからは絶大な支持を得ている。