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第64回 岩井厚裕ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

ゾーンプレスとは、ゾーンに分けてディフェンスするゾーンディフェンスと、相手に積極的にプレッシャーをかけるプレッシングを組み合わせた戦術だ。

横浜フリューゲルスの指揮官である加茂周監督が用いた戦術は、欧州のトップチームで採用されていたこのゾーンプレスだった。

 
1993年の天皇杯を制覇するとメディアは一気にその最先端の戦術に注目した。
 
その戦術のキーマンとなっていたのが、センターバックを任されていた岩井厚裕だった。
 
岩井は的確なカバーリングとコーチングで横浜フリューゲルスを支えた。
 
冷静な判断力でDFリーダーとして君臨した岩井厚裕に迫る。

岩井厚裕のプロ入り前

岩井は1967年に埼玉県に生まれた。
 
小学校時代は埼玉県川口市の神根東サッカー少年団に所属し、サッカーを学ぶ。
 
神根中学校卒業後、東京都のサッカーの名門である帝京高校へ進む。
 
帝京高校ではDFのレギュラーとして活躍。
 
2年次の全国高校サッカー選手権大会では鋤柄昌宏、北野誠らと共に同校の大会2連覇に貢献。
 
3年次もレギュラーとして三連覇に挑むがベスト8で黒崎久志を擁する宇都宮学園高校(現・文星芸術大附属高校)に敗れた。
 
高校を卒業後は東海大学に進学。
 
東海大学卒業後に日本サッカーリーグ1部に所属する全日空サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)へ入団。
 
加入初年度からレギュラーのセンターバックとして活躍。
 
加入1年目はリーグ戦22試合に出場した。
 
岩井が全日空に入団して4年後、チームは横浜フリューゲルスとしてJリーグに参入した。

岩井厚裕のプロ入り後


横浜フリューゲルスの指揮官である加茂周監督は戦術としてゾーンプレスを採用。
 
ゾーンプレスは、中盤をコンパクトに保ち、ボールを保持する相手を複数の選手で囲ってプレスをかけ、パスコースを限定。
 
そしてDFラインをフラットにして中盤まで押し上げ、最終ラインの後ろをオフサイドエリアにして相手を狭いスペースに押し込み、ボールを奪った後即座に攻撃に転じるシステムだが、この戦術は、高度な戦術眼や技術、体力など多くを求めるものであり、日本の選手では実践が難しいとされていた。
 
しかし岩井は高い戦術理解度とキャプテンシーでゾーンプレスのキーマンとして活躍。
 
1993年には横浜フリューゲルスの天皇杯優勝に貢献した。
 
岩井は1995年まで横浜フリューゲルスに在籍し、レギュラーとして出場。
 
1996年にはJリーグ初年度となるアビスパ福岡へ移籍。
 
アビスパでは経験豊富な頼れるベテランとしてチームを支えた。
 
岩井はアビスパのキャプテンを務め、その闘志みなぎる戦いぶりから「チーム一熱い男」と呼ばれた。
 
アビスパでは1998年までプレー。
 
岩井はアビスパ在籍中の1998年に故郷である埼玉県の教員採用試験に合格。
 
実際に教壇に立つには引退が必要となり、同シーズンをもって現役を引退。
 
翌年から中学校教員へと転身した。
 
このJリーガーから教員への転身はサッカー界を越えて当時大きな話題となった。

岩井厚裕の引退後と現在

岩井は1998年に中学校教員へ転身。
 
故郷である埼玉県内で体育教師とサッカー部の顧問として活動している。
 
また2007年にJFA公認S級ライセンスを取得。
 
公立中学校の教員がS級を取ったのは過去にも数例しかない。
 
S級取得には膨大な時間と勉強量が必要で、教員をしながら取得した岩井の努力は並大抵ではなかったと思う。
 
ライセンス取得まで計10週間の講習などは、学校や生徒保護者の理解を得ながら通ったという。
 
現在、全国の中学校サッカー部は、技術水準が低下していると言われている。
 
有力な選手はJリーグや地域サッカークラブの下部組織に所属するためだ。
 
岩井のようにS級ライセンスを取得した教師がサッカー部顧問となるケースが今後も増えていけば、また新たな育成プログラムが誕生していくかもしれない。