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FW

第39回 巻誠一郎ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

決してサボらず、走り回った16年間だった。

巻誠一郎は16年間のプロ生活に終止符を打った。

ワールドカップドイツ大会でサプライズ選出されたことが大きな話題を呼んだが、その後も巻はボロボロの肉体を酷使しながらピッチの中を走り続けた。

現役晩年は生まれ故郷である熊本に恩返しをすべく、移籍を志願。

震災後は熊本に携わるすべての人の為に尽力し続けた現役生活だった。

それはサッカー選手の枠を超えて、多くの人たちの心を動かした。

元日本代表、巻誠一郎に迫る。

巻誠一郎のプロ入り前

巻は1980年、熊本県下益城郡小川町に生まれた。

幼い頃から様々なスポーツに取り組み、宇城市立河江小学校時代はアイスホッケーとサッカーの両方に力を入れる。

宇城市立小川中学校を経てサッカーの名門である熊本県立大津高等学校へ進学。

高校2年の時には背番号9を背負い、冬の全国高校選手権でベスト8進出に貢献。

尚、幼い頃から続けていたアイスホッケーは高校でも続けており、高校1年時にはアイスホッケー熊本県代表として国体にも出場。

当時のサッカー雑誌には「アイスホッケー国体指定選手という変わり種」と紹介されている。

巻の本来のポジションはFWだが、DFとしてもプレー。

上背もあり、粘り強い巻のDFは、FWでのプレーよりも評価が高く、実際にJリーグのクラブのほか、スペインからもDFとしてオファーがあったほどだった。

高校卒業後は駒澤大学へ進学。

1年目からスタメンとして出場する。後にジェフ千葉でともにプレーする深井正樹とツートップを組み、身長184㎝の巻と161㎝の深井のコンビは大学最高のツートップと話題になった。

大学4年の2002年にはチームを関東大学リーグ初優勝に導き、深井正樹とともに12得点で得点王になる。また夏季ユニバーシアードの日本代表に選出される活躍をみせた。

大学卒業後の2003年、ジェフユナイテッド市原に入団する。

巻誠一郎のプロ入り後


ジェフに入団した1年目は17試合に出場して2得点。

後の日本代表監督となるオシム監督に指導を受け、2年目にはリーグ戦全試合に出場、6得点を挙げた。

3年目の2005年からはジェフのエースとして活躍。33試合に出場し、自身初の二桁得点となる12得点を記録した。

そしてこの活躍が認められ、2005年東アジア選手権でジーコ監督から召集を受け日本代表初選出。

北朝鮮戦で代表デビューを飾った。

当時の日本代表は高原直泰、久保竜彦柳沢敦、玉田圭司、大黒将志などが主軸として使われており、巻の2006年ドイツワールドカップの選出は難しいと思われていた。

しかし、ジーコジャパンのエースとして期待されていた久保竜彦が怪我からの復調が遅れ、巻は直前の強化試合での好プレーによって劇的な代表メンバー入りを果たした。

フランスワールドカップではグループリーグ最終節のブラジル戦で先発出場をした。

その後、日本代表監督がジーコからオシムに代わっても2009年までコンスタントに選出され続けた。

日本代表では38試合に出場し8得点を挙げた。

ジェフには2010年まで8年間在籍し、220試合に出場し53得点を挙げた。

2010年シーズン途中、ロシア・プレミアリーグのアムカル・ペルミからのオファーを受け、移籍。初の海外リーグ挑戦となったが9試合に出場し無得点に終わった。

翌年には元日本代表監督であるフィリップ・トルシエ氏率いる中国スーパーリーグの深圳紅鑽球倶楽部と契約するも度重なる怪我と環境面を理由に契約解除。中国では4試合のみの出場に留まった。

復活をかけて2011年には日本に戦いの場を移し、J2の東京ヴェルディへ移籍。

3シーズン在籍し、51試合出場7得点の記録を残した。

2014年からは生まれ故郷である熊本のチーム「ロアッソ熊本」に移籍。

先発出場は少なかったが、後半途中から出場し前線からプレスをかけ、チームを鼓舞するなど巻の存在は大きく、熊本の象徴として君臨した。

そして2018年シーズンを持って巻の引退が発表された。

巻誠一郎の現在、引退後

巻の引退に際しては、クラブ側から契約更新を求められたが、現役引退の意思が固かったと報道されている。

巻はロアッソ熊本のHPに下記のようなコメントを残している。

「最後に生まれ育った熊本のクラブでプレーさせていただけたことは本当に幸せでした。今後はサッカー界の発展のために出来ることや熊本の県民の皆様の役に立てるようなことを中心に微力ながらやっていければと思ってます」

震災直後の熊本に元気を与えるべく、現役選手ながらも被災地へ積極的に足を運び、率先して支援物資を供給したり、メディアを通して熊本への支援を積極的によびかけるなど復興の為に巻は尽くしてきた。

震災直後は練習環境が整っておらず、満足な練習もできなかったが、それでも巻は全力で走り続けた。

今後も巻は変わらず走り続けるだろう。

自分の為に。そして熊本の為に。