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第38回 野口幸司ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る。

ゴール前で決定的な仕事をする点取り屋、野口幸司。

ベルマーレ平塚のエースストライカーとして、創世記のチームを支えた。

野口は何処にボールがくるのか、瞬時に判断する、いわゆるゴールの嗅覚に優れており、ワンタッチで試合を決めることの出来る選手だった。
 
シュート力、ドリブル、ヘディングなど特筆すべき能力を備えていたわけではなかったが、野口は毎シーズン二桁得点を重ね続けた。
 
中田英寿やベッチーニョ、岩本輝雄、小島伸幸、田坂和昭など創世記のベルマーレには個性溢れる選手が多かったが、ストライカーといえば野口幸司しか思い浮かばない。
 

野口幸司のプロ入り前

野口は1970年に千葉県に生まれた。
 
幼少期からサッカーに魅せられ、千葉市立さつきが丘中学校で頭角を表す。
 
高校時代は1年生からレギュラーとして活躍。
 
2年生時は得点も取れる市船の司令塔として、高校総体インターハイで優勝。3年時には背番号7を背負いインターハイ2連覇。
 
野口は高校時代、インターハイでの2度の優勝と、全国高校選手権でも準優勝など輝かしい高校時代を送った。
 
同級生には名古屋グランパスで活躍する小川誠一、一つ下にはお笑い芸人ペナルティの中川秀樹が在籍していた。
 
高校卒業後1989年、野口は日本サッカーリーグ1部のフジタ(現湘南ベルマーレ)に加入する。
 

野口幸司のプロ入り後


加入初年度は出場機会に恵まれなかったものの、フジタが2部に降格した加入2年目から少しずつ出番を増やしていく。
 
加入3年目にはチームのエースとして28試合に出場して19得点を記録。住友金属(現鹿島アントラーズ)のジーコの21得点に次ぐ得点ランキング2位の活躍を見せ、ベルマーレを優勝及び、JFL1部昇格に牽引する。
 
プロ4年目のJFLでも得点を重ね、得点王の中山雅史、ロペス(後の呂比須ワグナー)の13得点に次ぐ11得点を記録した。
 
翌年にはフジタは年間優勝をし、ベルマーレ平塚としてジュビロ磐田とともに念願のJリーグ入りを果たした。
 
Jリーグを舞台にしても野口幸司の活躍は止まらない。
 
初年度は42試合に出場して19得点をマーク。
 
ベルマーレ平塚のJリーグ初得点も野口幸司だった。
 
翌年は更に飛躍し、49試合に出場して23得点を挙げ、日本代表初選出。コスタリカ戦で代表デビューを飾った。
 
しかしスター選手が既に出揃っていた日本代表には定着できず、このコスタリカ戦が最初で最後の代表戦となってしまった。
 
そしてこの年、3月の鹿島アントラーズ戦で野口は1試合5得点という記録を残す。
 
それもすべて右足、左足、ヘッドというワンタッチでの野口らしいゴールだった。
 
このJリーグ1試合最多得点の記録は24年経った今でも破られていない。(後に中山雅史、呂比須ワグナーも1試合5得点を記録)
 
ちなみにこの試合はベルマーレが鹿島を7-0で下しており、ルーキーの中田英寿が初得点を記録した試合でもあった。
 
試合後、中田英寿から「せっかく初ゴールを決めたのに、野口さんに全部持っていかれちゃった」と言われるほど、野口の活躍が目立った試合だった。
 
翌年の1996年も二桁得点を重ねるも、この年のシーズン途中にベルマーレを退団。当時JFLの川崎フロンターレに移籍して1シーズンプレー。15試合に出場して9得点を挙げる。
 
その後は名古屋グランパスで2年間、大宮アルディージャで1年間プレーし、2000年に現役を引退した。

野口幸司の引退後と現在

野口は引退後、高校サッカーの指導者として歩みながらテレビ解説者として活躍。
 
2015年からは将来のJリーグ入りを目指すアローレ八王子の監督して指揮をとっている。
 
野口幸司のようなワンタッチでゴールを決められるストライカーというのは昨今では珍しくなってしまった。
 
1人で局面を突破できるFWも頼もしいが、野口のような点取り屋タイプのストライカーがチームにいればこれほど頼もしいことはない。