Jリーグ創世記のガンバ大阪を支えた永島昭浩。
鬼気迫る表情でボールを受け取ると、ゴールまでの最短距離を狙い、
常にどん欲にゴールを狙った。
点取り屋とよんだほうがしっくりくるかもしれない。
そんな永島に迫っていく。
永島昭浩のプロ入り前
永島は1964年に兵庫県神戸市に生まれる。
小学4年生からサッカーを始めた。
永島昭浩のプロ入り後
しかし1995年。
永島の生まれ故郷である神戸が震災に合う。
永島の家も阪神淡路大震災により全壊した。
この震災を機に、永島は当時JFLだったヴィッセル神戸へ移籍を決意。
Jリーグの強豪クラブのエースが、下部リーグに移籍したことは大きな話題になった。
移籍初年度、永島は背番号「51」という大きな数字を背負ってプレー。
翌年は28試合に出場し17得点を記録するなど活躍し、ヴィッセル神戸のJリーグ昇格に貢献した。
永島はこの活躍からミスター神戸とよばれた。
その後、Jリーグに復帰したシーズンも32試合に出場し22得点をあげ、得点ランキング3位となる活躍をみせる。
その後、ヴィッセル神戸には2000年まで在籍。
引退するシーズンまで毎年得点を重ねた。
Jリーグで161試合に出場し61得点という記録を残して永島は引退をした。
永島昭浩の引退後と現在
永島は現在、ニュースキャスターとして忙しい毎日を送っている。
そのハンサムな顔つきとユニークなキャラクターでお茶の間の人気者となっている。
ミスター神戸とまでよばれた永島が背負った背番号「13」は、神戸のエースナンバーとされ、永島の後に播戸竜二、大久保嘉人、我那覇和樹とエースストライカーが背負い続けた。
震災を機に、地元を盛り上げようと下部リーグに移籍した永島。
現役晩年の選手なら分かるが、永島はまだ現役バリバリの選手だった。
そして驚くべきところは、その3年後に、Jリーグに復帰したあとも得点を量産したことだ。
生粋の点取り屋はステージを選ばず活躍し続けた。