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第3回 戸田和幸ってどんな人?生い立ちやプレースタイルに迫る

2002年の日韓ワールドカップで初めて彼の姿を見た人はその姿に目を奪われたはずだ。

赤いモヒカン頭で闘志をむき出しに戦う一人の男。

戸田はワールドカップで活躍し世界へと飛び立った。

現在では分かりやすい説明と独特の視点で人気を集める解説者になった。

現役時代とは見違える外見とは裏腹にサッカーにかける闘志は熱いままだ。

熱い魂を持った男、戸田和幸に迫る。

戸田和幸のプロ入り前

戸田は1977年に神奈川県相模原市に生まれた。

小さい頃は野球をしていた戸田がサッカーに目覚めたのは二つ年上の兄の影響だった。

始めたばかりの頃のポジションはフォワード。ドリブルが得意だった。

周囲のレベルが高くなかなか試合に出れない日々が続いた。

戸田はこの頃からサッカーノートを書き始め、テレビのサッカーの試合は出来る限り見て、ひたすら練習していたと話す。

中学時代はサイドバックでプレー。

そして3年生の時にボランチに転向しレギュラーを獲得。

全国大会に出場した。

サッカーの名門である桐蔭学園に入学後もサッカー漬けの毎日を送る。

そして戸田はU-17日本代表に選ばれた。

戸田和幸のプロ入り後


1996年に清水エスパルスに入団。

入団1年目から試合に出場した。

1999年には背番号4を与えられ、エスパルス不動の3バックの一角として清水のステージ初制覇に貢献した。

2001年、カルロス・サントスの移籍による穴を埋めるため、当時の監督であるゼムノビッチ・ストラヴゴ氏によってボランチへとコンバートされた。

それが大きな転機だった。

2001年に当時の日本代表監督フィリップ・トルシエ氏によって初招集され、FIFAコンフェデレーションズカップ2001にて代表デビューを果たした。

以降、戸田は代表にとって不可欠な存在となっていく。

戸田和幸の海外移籍

戸田は2002年日韓W杯の日本代表に選出された。

髪を真っ赤に染めたモヒカン姿を披露した。

戸田は4試合全てにフル出場し、持ち前の激しい守備でベスト16に貢献。

ベスト8がかかったトルコ戦に敗れた際にはピッチで涙を流した。

戸田は海外からも注目され、イングランド・プレミアリーグのトッテナム・ホットスパーFCに移籍。

マンチェスターユナイテッド戦などリーグ戦4試合に出場した。

その後、活躍の場を求めて、オランダ・エールディヴィジのADOデン・ハーグに移籍。

外国での生活に戸惑いながらも。ここではリーグ戦16試合に出場した。

戸田和幸のJリーグ復帰

戸田は2004年のJリーグ2ndステージから再び清水エスパルスに復帰。

その後、数々のチームを渡り歩く。

東京ヴェルディ、サンフレッチェ広島、ジェフユナイテッド千葉、韓国の慶南FC、ザスパ草津、町田ゼルビア。

必要とされればどこにでも行った。

町田ゼルビア時代には屈辱も味わった。

シーズン開幕前の2月。

チームはこれからの始動に向けて動き出す頃に、戸田は当時の監督アルディレス氏に呼ばれ、戦力外であることを告げられる。

これからシーズンが始まるという時の突然の出来事。

戸田はモチベーションに悩み苦しんだ。

それでも戸田は前を向いた。

チームの勝利のために、練習から厳しくいき、大きな声を出した。

町田では2試合の出場に留まったが、戸田は話す。

「チームの納会で若い選手が僕のところに来て『試合に出れなくても変わらず厳しくやり続ける姿勢を見て自分もやらなきゃと頑張れました』と言ってくれたのがとても嬉しかった。」

現役最後の年はシンガポールリーグのウォリアーズFCに所属。

リーグ戦17試合に出場し、引退をした。

戸田が35歳の時だった。

戸田和幸の引退後と現在

戸田は引退後に、今までの経験を活かし解説者に転身した。

引退して最初の解説の仕事はWOWOW。

戸田は話す。

「僕が世間一般からどういうイメージを持たれているのか、プレースタイルやビジュアルが手伝ったこともあり、例えば細かくサッカーを見ることができず話をすることもできない人間だというイメージがあるのだろうと。この仕事はそういった自分にとってはマイナスなものを覆していくことができる最初で最後のチャンスなんだと、やれる限りの準備をして臨みました。それからだと思います、少しずつ変わっていき始めたのは。」

戸田は徹底したリサーチと情報収集に基づいた的確な戦術分析を武器に解説者として人気を博していく。

そして2018年2月、慶應義塾大学のコーチに就任し、指導者としての道も歩み始めた。

子供の頃に書き綴ったサッカーノートが今の戸田に活かされているのかは知らない。

しかし、戸田は幾度となく大きな壁に当たり、それを乗り越えてきた。

そしてそこには熱い闘志だけではなく、冷静に状況を判断し分析をして、努力をする力が戸田にはあった。