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奥野僚右の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第86回】

鹿島アントラーズ黄金期を支えた、守備の要である奥野僚右。

その統率力はリーグ屈指で、秋田豊、相馬直樹、名良橋晃という日本代表選手で構成されるDFラインを見事にまとめ、数々のタイトルを獲得した。

奥野僚右は1対1にも強く、カバーリング、コーチング、冷静な判断力などセンターバックとして必要な能力を高いレベルで発揮した。

玄人好みのDF、奥野僚右に迫る。

奥野僚右のプロ入り前


奥野は1968年に京都府京都市に生まれた。

7歳の頃、京都紫光サッカークラブでサッカーを始める。

京都市立上京中学校卒業後、京都府立山城高校へ進学。

奥野は高校3年生の時にセンターバックにコンバートされるが、それまではMFやFWとしてプレーをしていた。

高校3年時に第65回全国高校サッカー選手権に出場。山城高校は1回戦で仙台育英高校に0-2で敗れた。この大会には後に鹿島で共にプレーをする秋田豊(愛知高校)、吉田康弘(東海大第一)も出場していた。

奥野は高校卒業後、早稲田大学へ進学。同期には池田伸康(元浦和レッズ)がいた。

大学2年時のリーグ戦から奥野はレギュラーを獲得する。

大学3年時に、後に鹿島アントラーズで指揮を取ることになる関塚隆が監督に就任した。早稲田大学はインカレで優勝を果たし、奥野は全日本学生選抜に選ばれる活躍を見せた。

1993年、早稲田大学を卒業した奥野は鹿島アントラーズへ入団する。

奥野僚右のプロ入り後

1993年、奥野はルーキーながら、Jリーグ開幕カードとなった名古屋グランパスエイト戦に背番号4をつけて先発出場を果たし、5-0の大勝に貢献した。

奥野はこの時、リーグ戦11試合に出場。鹿島アントラーズのサントリーシリーズ優勝に貢献。

共にセンターバックでパートナーを組んだ秋田豊はフィジカルに優れパワータイプのストッパーであるのに対し、奥野は読みとポジショニングで勝負するタイプだった。

この2人のセンターバックはJリーグでも屈指の守備力を発揮し、その後も長年に渡りコンビを組むことになる。

1994年は秋田豊、大野俊三とディフェンスラインを形成。また早稲田大学の1つ後輩である相馬直樹も鹿島アントラーズへ加入した。

1995年は元ブラジル代表のモーゼルが加入し、レギュラーを争うもリーグ戦40試合に出場した。

奥野はその後もスイーパーとして鹿島アントラーズのDFラインを統率。1996年のJリーグ優勝、1997年の1stステージ優勝、1998年のJリーグ優勝など様々なタイトルを獲得した。

2000年には川崎フロンターレで、2001年にはサンフレッチェ広島で1シーズンずつプレー。

2002年には当時群馬県1部リーグに在籍していたザスパ草津へ移籍。

奥野は監督兼任選手として、元日本代表GKである小島伸幸(コーチ兼任)とチームを牽引。

所属するほとんどの選手が働きながらサッカーをする環境の中で、草津の日本フットボールリーグ昇格に貢献した。

その功績を称え、奥野の草津時代の背番号31番は永久欠番となっている。

草津では2003年までプレーし、この年限りで現役を引退した。

奥野僚右の引退後と現在

奥野は引退後、2004年から2011年まで鹿島アントラーズでコーチを担当。

その後、モンテディオ山形の監督やアビスパ福岡のコーチを務め、現在は元日本代表で鹿島アントラーズの後輩である鈴木隆行とともにサッカースクール事業「SAMURAI(サムライ)」を設立。

「SAMURAI」ではサッカーを初めて経験するエンジョイ層から、Jクラブユース選手が生まれるようなハイクラス層の小学生クラスまで幅広い層の指導のほか、母親向けに待ち時間を利用した食育指導やセミナー体験などを展開している。

鈴木隆行の引退試合、試合後に鈴木が奥野に感謝の言葉を伝えている時に、涙で言葉が詰まるシーンがあった。

鈴木はその時、奥野に対して涙をこらえながらこのような言葉を送っている。

「鹿島に試合に出れない6年目に、フロンターレの方にレンタル移籍しました。今、福岡にコーチでいる奥野さんと一緒に行きました。8月くらいまで試合に出れなくて、自分の力がなくて戦力外の扱いになっている時に鹿島の方から1本の電話がきて『出れないんだったら帰ってこい』ということで。でも、僕自身はフロンターレのために一緒に頑張ると、試合にも出ていないのに。奥野さんに(鹿島復帰の話を)伝えたときに『お前と俺の人生は違う』と言って、背中を思い切り蹴飛ばしてくれて、鹿島の方に帰らせてくれました。それがあったから、本当に日本代表まで行くことができました。本当にありがとうございました。」

後輩の面倒見が良い奥野の人柄がよく分かるエピソードだ。

ともに鹿島アントラーズを支え、現役を引退した先輩後輩の2人は、また新たな目標に向かって動き出した。

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