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實好礼忠の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第362回】

13年間、ガンバ大阪一筋でプレーしたバンディエラ、實好礼忠。

ガンバ大阪入団1年目からセンターバックでレギュラーとなると、守備のキーマンとして活躍。

178センチと上背は高くないが、ジャンプ力を生かした高い打点のヘッドも魅力。

入団3年目にはゲームキャプテンを務めるなど、ガンバ大阪を背負って立つ選手として首脳陣の期待も高かった。

引退後は京都サンガや愛媛FCで監督を務めるなど、指導者としても活躍している。

實好礼忠のJリーグ入り前


實好は1972年に愛媛県南宇和郡に生まれた。

幼稚園の頃、父親がサッカーの指導者をやっていたため自然とサッカーを始めた。

小学校に入学後、宇和島市出身のサッカー指導者である石橋智之が同地区でサッカーの一貫教育を開始した。
小学生の實好は週に2回ほど中学生に交じってサッカーをするようになり、中学入学後は高校生とサッカーをするようになった。實好はこの経験を後に「良い環境でサッカーができていた」と語っている。

高校は石橋智之が監督を務める愛媛県立南宇和高等学校へ進学。

高校2年次に高校サッカー選手権に愛媛県代表として出場。
南宇和は2回戦でPK戦の末に帝京を破ると、3回戦は優勝候補の四日市中央工業でまたもPK戦で勝利した。
その後も仙台育英、服部浩紀(横浜フリューゲルス)擁する前橋商業を破り、決勝に進んだ。

決勝では埼玉代表の武南に先制点を奪われるも、後半に逆転し2-1で勝利。四国に初の優勝旗をもたらせた。

高校卒業後、立命館大学の監督から誘いを受け、同大学へ進学。
大学3年次にJリーグが開幕し、」ユニバーシアード日本代表に選出されたこともあり、この頃にはJリーガーへの道を具体的に考えるようになった。

實好は大学卒業後、ガンバ大阪へ入団する。

實好礼忠のJリーグ入り後

實好は入団1年目に第22節ヴェルディ川崎戦でJリーグデビューを飾る。
その後は島田貴裕、辛島啓珠と3バックを形成し、ルーキーながらリーグ戦31試合に出場した。

1996年は同期入団の宮本恒靖とセンターバックでコンビを組み、リーグ戦28試合に出場。
ガンバのDFラインを率いる若きキーマンに注目が集まり、日本代表入りも噂されるようになった。

1997年にゲームキャプテンに任命される。1998年は自身初となるフルタイム出場を達成するなど充実したシーズンを送る。

これまで故障も少なく、シーズンを通して活躍してきたが2000年に右足アキレス腱を断裂する大怪我を負い、このシーズンはリハビリに費やすことになった。

2001年も懸命にリハビリに努め、11月24日、ホームで開催された最終節アビスパ福岡戦で復帰。實好が交代でピッチに入るとスタジアムは大きな拍手に包まれた。

その後はスタメン出場の機会は減ったが、出場した試合では安定した守備でチームを救った。

2005年の第6節横浜F・マリノス戦ではJリーグ初ゴールとなる先制ゴールを記録。この試合は2-2で引き分けたが、このシーズンはリーグ戦24試合に出場し、ガンバのリーグ優勝に貢献した。

2007年、13年間の現役生活を終え、現役引退を表明した。

實好礼忠の引退後と現在

實好は引退後、2008年からガンバ大阪のコーチを務めた。

2014年から2年間、名古屋グランパスのコーチを務め、その後は再びガンバ大阪でコーチとなった。

京都サンガ、愛媛FCでの監督を経て、2022年に大阪学院大学体育会サッカー部の監督に就任している。

大阪学院大学では就任1年目で総理大臣杯の決勝に進むなど、手腕を発揮している。

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