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岡山哲也の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【303回】

愛知県の中京高校出身でJリーグ開幕時からチーム唯一の生え抜き選手として13年間に渡り名古屋グランパスで活躍した岡山哲也。

豊富な運動量と思い切りの良い突破力を武器にサイドハーフやFWとしてプレー。1998年シーズンはチーム2位となるリーグ戦14ゴールをマーク。1stステージだけで10得点を決めるなど得点能力の高さも見せた。

パスの受け手として非常に優秀で、主にストイコビッチの相方としてそのスピードと運動量はいかんなく発揮され、ベンゲル監督の機動性を求めるサッカーに不可欠な存在となった。岡山はストイコビッチのラストパスを一番多く受け取った選手としても知られる。

名古屋での晩年はスーパーサブとしての貴重な役回りを果たす。岡山の積極的な前線への飛び出しは攻撃のリズムをもたらした。

岡山哲也のJリーグ入り前


岡山は1973年に愛知県名古屋市に生まれる。稲葉地小学校の時にサッカーを始める。

豊正中学校進学後、サッカー部に所属する。後に名古屋でともにプレーをする秋田豊は同じ中学の3学年先輩である。

中学校卒業後、中京高校へ進学。岡山在籍時、中京高校は3年連続で全国高校サッカー選手権に出場。3年時の選手権では3回戦で小倉隆史中西永輔擁する四日市中央工業にPK戦の末、惜敗している。岡山は3年時に高校総体、国体にも出場をしている。

地元のクラブである名古屋グランパスエイトから誘いを受け、高校卒業後の1992年に入団する。

岡山哲也のJリーグ入り後

岡山は1993年6月9日1stステージ第8節ヴェルディ川崎戦で後半途中から後藤太郎に代わってJリーグ初出場を飾る。同年の2ndステージ第3節ジェフ市原戦でFWで先発出場を果たすと68分にJリーグ初ゴールをマークした。この年はリーグ戦7試合に出場し1ゴールの成績だった。

1994年は出場機会を失い、リーグ戦2試合の出場に留まるもベンゲル監督が就任した1995年から出場機会を掴む。ストイコビッチという強力なパサーを軸に持ち前の運動量で前線をかき回した。この年は途中出場も多かったがリーグ戦40試合で10ゴールを決める。同年の天皇杯では名古屋の優勝に貢献。

1998年は得点感覚が冴えわたり1stステージだけでリーグ戦17試合で10ゴールをマーク。名古屋は岡山の活躍もあり前半戦は3位に着けた。第6節福岡戦、第9節鹿島戦、第10節柏戦では1試合2ゴールを決める活躍を見せる。後半戦はストイコビッチと福田健二がツートップを組む試合が増え、岡山は右サイドハーフとして出場。得点数は減ったが豊富な運動量で名古屋の攻撃を支える。

1999年に呂比須ワグナーが加入するとFWとしての先発出場は減り、主にサイドハーフでの出場となった。2001年シーズン途中にピクシーが引退すると一時出場機会が減るが、2003年からはウェズレイ、マルケスという強力2トップを生かすための献身的な動きが重宝されまた出場機会を掴んだ。

名古屋所属最終年となった2004年はほとんどがベンチスタートとなったが、リーグ戦21試合に出場し4ゴールを決める。そのうち途中出場から決めたゴールは3つだった。

2005年、アルビレックス新潟へレンタル移籍。岡山自身初の移籍となった。

新潟では経験豊富なベテランとしてチームを牽引。2007年からはシンガポールに渡り、アルビレックス新潟シンガポールの選手として活躍。若手主体のチームにおいて岡山は大きな役割を果たす。2008年にはリーグ戦30試合に出場し9ゴールをマークした。

2008年シーズンをもって岡山は現役引退を表明した。

岡山哲也の引退後と現在

岡山は引退後、2009年から古巣である名古屋グランパスのスクール・普及グループのスタッフに就任。2011年2月からはクラブからの出向という形で母校の中京大学附属中京高等学校サッカー部監督に就任している。

2018年には「eスポーツジャパン社」を設立。ヘッドコーチに秋田豊が、チーフアドバイザーにストイコビッチが顔を揃えるこの会社は、現在世界的な発展を見せるeスポーツのチーム運営、eスポーツ参入トータルソリューションサービスなどを目的に設立され、2022年大会よりeスポーツが正式種目に採用されるアジア大会や、今後の採用が検討されている五輪出場を目指している。

Jリーグもeスポーツに参入し2018年に「明治安田生命eJ.LEAGUE」を主催するなど今後の盛り上がりが期待される新たなジャンルとして注目を集めている。

現役時代、名コンビで沸かせた岡山哲也とストイコビッチが今度はバーチャルな世界を舞台に再びタッグを組む。

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