GK

加藤好男の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【292回】

1993年Jリーグ開幕時、現役最年長GKとして活躍した加藤好男。

現役時代は古河電工(現ジェフ千葉)一筋でプレー。1980年代の日本代表GKとしても活躍し国際Aマッチ8試合に出場している。

現役引退後は日本ユース代表のコーチを長年務め、2010年南アフリカワールドカップの日本代表GKコーチとして活躍。その後はタイ代表のGKコーチに就任するなど元JリーガーGKコーチのパイオニア的存在として知られる。

加藤好男のJリーグ入り前

加藤は1957年に埼玉県浦和市(現さいたま市)に生まれた。

中学校卒業後、本郷高等学校へ進学。 本郷高校では1年時からレギュラーとして活躍。高校1年時と3年時に東京都代表として全国高校サッカー選手権に出場。1年時には四日市中央工業高校に、3年時は大分工業にそれぞれ2回戦で敗れている。

高校卒業後、大阪商業大学へ進学。大学では1年時から正GKとして活躍。関西学生代表、ユニバーシアード日本代表、日本代表候補に選出されている。

大学卒業後の1980年に、加藤は古河電気工業サッカー部(現ジェフ千葉)に加入。同期には岡田武史、吉田弘、田嶋幸三がいる。

古河に入団後は日本代表として広州国際サッカー大会や親善試合で活躍する一方、古河には淀川隆博や佐藤長栄といった実力派GKがいた為、なかなかリーグ戦の出場機会を得られずにいた。

1年目に唯一出場した東洋工業との試合では5失点を喫し敗北。その後はベンチ入りすらできない日々が続き、加藤はチームのビデオ係など裏方の仕事をこなした。

その後、ヤングフットボールリーグ(2軍戦)で結果を出し、レギュラーに定着。1986-1987シーズンのJSLカップでは優勝を経験した。同年のアジアクラブ選手権では優勝を果たす。

1988-1989シーズンまで古河の正GKとして活躍するも1989年に下川健一が入団すると第2GKとしてチームを支えた。下川は高卒新人ながらすぐさまレギュラーとなるとこの年の新人王にも輝いた。

1992年に古河はジェフ市原へ改称。加藤はこの時35歳。現役最年長GKとしてJリーグ開幕を迎えることとなった。

加藤好男のJリーグ入り後

1993年、Jリーグ開幕後も下川健一がジェフの正GKとして起用され、加藤は2ndGKとしてチームを支えた。

1993年6月23日1stステージ第12節浦和レッズ戦で開始2分に下川が負傷すると途中交代で出場。これが加藤のJデビュー戦となった。この試合は打ち合いとなったが3-2で勝利を収めている。

その後も下川が復帰するまで正GKを務める。2ndステージ第12節清水エスパルス戦では1-1で決着が着かずPK戦にもつれ込むも接戦の末に勝利を手にした。この試合は清水のコーナーキック15本に対し市原は0本、シュート本数も2倍以上打ち込まれるという劣勢の展開であった。

しかしその後は第12節から最終節まで5連敗を喫してしまう。ジェフは2ndステージは10チーム中9位となり年間順位は8位という成績だった。

加藤はこの年を最後に現役を引退する。

加藤好男の引退後と現在

加藤は現役引退後、GKコーチに転身。

1994年からジェフ下部組織で指導を始め、その後は日本サッカー協会に入り年代別日本代表コーチとして活動。2006年には日本代表GKコーチに就任し、2010年の南アフリカワールドカップにもコーチとして帯同している。 その後はタイのチョンブリFCでGKコーチコーチを務め、タイ代表のGKコーチを経験した。2018年からは日本サッカー協会の技術委員を務めている。

加藤はこれまで年代別やフル代表のコーチとなって多くのGKを指導してきている。その中には川島永嗣や西川周作、林彰洋といった日本を代表するGKも含まれる。

クラブチームのコーチとは違い、代表のコーチは常に選手へ指導が出来るわけではない。加藤は選手が日頃から取り組んでいるクラブチームの練習メニューを基本に指導を行った。選手のコンディションを整え最高の状態でピッチに送り出す為に。

現在日本サッカーの技術向上の為に活躍する加藤好男。日本のGKの地位を向上させるために今日も奮闘している。

選手一覧