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デュリックスの現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第181回】

世界的な名称ベンゲル監督が連れてきたフランス人MFデュリックス。

細身の身体ながら攻守に労を厭わない豊富な運動量があり、確実に相手のチャンスの芽を摘み取り前線に繋げられる高いテクニックを誇った。

名古屋では浅野哲也とダブルボランチを組み、ストイコビッチのフォロー役を担い、中盤の低い位置から効果的なパスを供給した。

ストイコビッチや小倉隆史、平野孝といった前線の選手が躍動出来た理由として献身的なプレーで支えたデュリックスの存在が大きい。

数少ないフランス人Jリーガー、デュリックスに迫る。

デュリックスのJリーグ入り前


デュリックスは1965年にフランスのリヨンに生まれた。

地元のクラブでサッカーを始め、13歳の時にフランスリーグのオリンピックリヨンの下部組織に所属する。

1984年、19歳の時にリヨンとプロ契約を結び、フランスリーグ2部でデビューを果たす。

1988年にフランスリーグ1部のASカンヌからオファーを受け移籍を果たりリール戦でデビューを果たした。

カンヌではレギュラーとしてUEFAカップを2ど獲得。キャプテンとしてチームを牽引。選手投票のベストイレブンに選出され、フランスフットボール誌のゴールデンスター賞を受賞した。

1994年10月の欧州選手権の前にフランス代表候補に選出され合宿に参加するが最終的にはメンバーから外れた。

1995年、ASモナコの指揮官であるアーセン・ベンゲルが名古屋グランパスエイトの監督に就任する。

ベンゲルは共に戦う外国人選手を自ら模索し、フランスリーグでボランチとして一定の地位を築いていたデュリックスに声をかける。

ベンゲルが名古屋のコーチに選んだボロ・プリモラックはASカンヌの選手と監督の経験があり、またデュリックスを高く評価していた。

デュリックスはベンゲルと意気投合し、Jリーグの名古屋グランパスエイトに移籍を果たす。

デュリックスのJリーグ入り後

1995年3月18日のサントリーシリーズ第1節ガンバ大阪戦でJリーグデビューを飾る。
第3節のジュビロ磐田戦でJリーグ初ゴールをマークした。

デュリックスは元日本代表のMF浅野哲也とダブルボランチを形成。

ベンゲルが目指すサッカーの忠実な実践者としてデュリックスは名古屋グランパスの心臓と呼ばれる程の存在感を示した。

汗かき役として攻守に顔を出すだけではなく、正確なフリーキックで得点も重ねた。

1993年、1994年と下位に沈んでいた名古屋グランパスだったがデュリックスの加入により攻守の歯車が噛み合い、年間順位3位に入る躍進を見せる。天皇杯では決勝でサンフレッチェ広島を3-0で下し王者に輝いた。

この天皇杯優勝はデュリックスにとって初のタイトルとなった。デュリックスはリーグ戦52試合中48試合に出場しボランチながら10得点を挙げた。

1996年も開幕戦からスタメン出場を続け、名古屋の躍進を支える。名古屋はこの年リーグ戦準優勝となるが、デュリックスはその中心選手となった。

翌年も名古屋での活躍が期待されたが、この年でデュリックスは名古屋を退団。

退団理由はJリーグの過密日程により家族との時間が取れなくなった事や家族を含めなかなか日本の生活に馴染むことが出来なかった為と報道された。

J通算は72試合16得点という結果だった。

名古屋を退団したデュリックスは古巣のASカンヌでトレーニングを積み、スイスリーグのセルヴェットFCと契約。

セルヴェットではリーグ制覇を果たすなどベテラン選手としてチームを牽引した。

その後はフランスに帰国し、FCソショー、ASカンヌでプレーし2002年シーズン限りで現役を引退した。

デュリックスの引退後と現在

デュリックスは引退後、実業家となりフランスで多国籍料理のレストラン経営を行う。

現在はベトナムに渡り、JMGアカデミーで指導者の道を歩んでいる。

JMGアカデミーでは裸足での練習を重要視しているという。
幼い頃から裸足でボールを扱う時間を増やす事により怪我の予防やテクニックの向上に繋がる。

JMGアカデミーではこの裸足でのプレーが一定レベルに達しないとシューズを履いた次のステップには進めないという。

日本で裸足でのプレーはあまり馴染みがない。サッカーといえばシューズを履いてやるのが当たり前である。

しかしサッカー王国ブラジルでは幼い頃から当たり前のように裸足でボールを扱っている。その為、足の裏の皮膚が角質化して硬くなり、ふくらはぎや土踏まずが発達し、足の感覚が発達している。これは日本の子供との大きな違いだ。

感覚を養う為に素足でボールを扱う時間をなるべく増やす。サッカーは足でボールを扱うスポーツなのだから考えてみると必要なトレーニングなのだ。

戦術やテクニックの前にこういった部分のトレーニングを日本でも当たり前にしていくことが世界との差を縮める上で必要な事なのかもしれない。

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