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森山佳郎の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第162回】

「ゴリ」というニックネームで親しまれた森山佳郎。

サンフレッチェ広島や横浜フリューゲルス、ジュビロ磐田、ベルマーレ平塚で活躍した右サイドバックだ。

チームのムードメーカーであり、明るい性格で知られる森山佳郎。

しかしチームでも1、2を争うほどの練習の虫としても知られ、大学を1浪し、大学4年で初めてレギュラーとなるなど決して平坦ではないサッカー人生を歩んだ。

試合終盤になっても途切れる事のない豊富な運動量や果敢なオーバーラップは森山佳郎の大きな武器だがその裏には血の滲むような努力があった。

1994年、サンフレッチェ広島のサントリーシリーズ優勝の貢献度が評価され日本代表に抜擢されるなど森山佳郎は一躍脚光を浴び、一気にスターダムを駆け上がっていった。

森山佳郎のプロ入り前


森山は1967年に熊本県熊本市に生まれた。

熊本市立東町小学校3年生からサッカーを始める。

しかし厳しい指導に耐えかねてサッカーへの意欲を失ってしまい、錦ケ丘中学校入学と同時にバスケットボール部に入部。

しかしサッカーへの情熱を忘れられず、中学校2年生から再びサッカー部に戻る。

中学校卒業後、熊本県立第二高校へ進学。

第二高校のサッカー部には指導者がいなかった。

森山は自ら練習メニューを考え自主的に練習をしたが選手権や高校総体とは無縁の3年間を送った。

大学受験で願書締め切り期日を間違えるという失態を演じてしまい浪人をする。

1年間の浪人生活を経てサッカーの名門である筑波大学へ入学。

井原正巳、中山雅史は同じ歳であるが、彼らは森山の1年先輩である。

筑波大学サッカー部ではBチームやCチームを行き来し、大学4年時にようやくトップチームに昇格した。

そして大学4年時の総理大臣杯で森山は活躍。

筑波大学対仙台大学戦では1得点、1アシストを記録し、この活躍がマツダサッカー部今西和男総監督の目に留まりスカウトを受ける。

森山は卒業後、教員になるべく資格を取得していたがこのスカウトを機にマツダサッカー部への入団を決める。

森山佳郎のプロ入り後

サンフレッチェ広島では開幕当初、右サイドバックには柳本啓成が起用され森山佳郎は控えに回る。

1993年5月29日サントリーシリーズ第5節対横浜フリューゲルス戦の後半からJリーグ初出場を果たすがその後も途中出場が続いた。

サントリーシリーズの浦和レッドダイヤモンズ戦では決勝点となるJリーグ初ゴールを記録。

森山はその際、喜びのあまりユニフォームを脱いで喜びを表現したが、これが非紳士的行為ならびに遅延行為とみなされイエローカードを貰ってしまった。

これは森山を語る上では欠かせないエピソードであり、このエピソードは当時サッカー番組で取り上げられ、少年誌コロコロコミック「やったね!ラモズくん」ではパロディ化された。

森山はその後、柳本の怪我や、柳本のセンターバックへのコンバートがあり右サイドバックに定着する。

1994年には左サイドバックの片野坂知宏と共にスピードと正確性のあるサンフレッチェの攻撃的サッカーを支えた。

柳本啓成佐藤康之のセンターバックも安定感があり、堅守のサンフレッチェはサントリーシリーズ優勝を果たした。

この活躍が評価され、森山はファルカン監督が率いる日本代表に抜擢される。

1994年7月8日のガーナ戦で日本代表デビューを飾ると、その年に開催されたアジア競技大会のレギュラーとして出場。日本代表への選出はこの年限りとなるが、国際Aマッチ7試合に出場した。

1995はサンフレッチェに新たに就任したヤンセン監督から評価を得られずに出場機会が減少。

1996年には横浜フリューゲルスへと移籍する。

1996年の開幕戦であるセレッソ大阪戦で得点を挙げた。その後も豊富な運動量を武器に2年間でリーグ戦53試合に出場した。

1998年にジュビロ磐田へ移籍するも怪我の影響でリーグ戦出場はなく、ナビスコ杯に1試合のみ出場しているがこの試合で森山は退場処分を受けている。

1999年にベルマーレ平塚へ移籍。

ベルマーレではキャプテンを務めるがこのシーズンにベルマーレはJ2へ降格。

森山は怪我の影響もあり、このシーズン限りで現役を引退した。

森山佳郎の引退後と現在

森山は引退後、指導者へと転身する。

2002年から2012年までサンフレッチェ広島ユース監督を務めた。

技術だけでなく、メディカルや人間力にも全力でアプローチする森山佳郎の指導は評価が高く、サンフレッチェ広島ユースは多くのタイトルを獲得し、下部組織の名門へと育て上げた。

教え子も高萩洋次郎、森脇良太、柏木陽介、槙野智章、茶島雄介、野津田岳人などJリーグを代表する選手が顔を揃える。

森山は監督と呼ばれる事を嫌い、教え子からも「ゴリさん」というニックネームで呼ばれている。

選手と指導者の距離感を大切にしているが、選手との関係は決して甘えたものではなく一定の基準をもった厳しさを保つ。

森山佳郎が広島ユースの選手達に言い続けた言葉がある。

「気持ちには引力がある。」

森山のこの言葉は信じた広島ユースの選手達は大会で躍動し、終了間際の逆転劇や大差をつけられてからの同点劇などの奇跡を起こし数多くのタイトルを獲得した。

現在は手腕を買われ日本サッカー協会に籍を移し、U17日本代表監督を務める森山佳郎。

エリートとは無縁の不遇な時代から日本代表まで突き進んだ森山佳郎だからこそ響く言葉がそこにはある。

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