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ゼリッチの現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第121回】

2003年の浦和レッズのリベロとしてDFラインの統率を任せられたゼリッチ。

ブンデスリーガ1部で160試合に出場した事が裏付けされるような確かな技術とフィード力でナビスコ杯制覇という浦和レッズ初めてのタイトル獲得に貢献。

ナビスコ杯制覇時には興奮したサポーターがピッチに乱入し、ゼリッチの優勝メダルを持ち去るという残念な事件も発生。

オーストラリア代表としても活躍し、その能力の高さからオフト監督が獲得を熱望し、期待されての入団となったが怪我がちだった為、僅か1年半というJリーグのキャリアとなった。

ゼリッチのJリーグ入り前

ゼリッチは1971年にオーストラリアのシドニーに生まれた。

クロアチアからの移民の両親の元で育ち、 クロアチア・ディーキン・キャンベラでサッカーを始め、オーストラリア連邦政府の機関であるAISオーストラリア国立スポーツ研究所でサッカーを学ぶ。

18歳の時にセミプロにあたるクロアチア系移民のチームのシドニー・ユナイテッド(旧シドニー・クロアチア)でプレー。

その後もいくつかのオーストラリア国内のチームでプレーし、1992年に21歳でドイツに渡る。

ブンデスリーガ1部のボルシア・ドルトムントとプロ契約しリーグ戦19試合に出場。

1992-1993シーズンはUEFAカップ決勝まで上り詰めるも、決勝でユヴェントスに敗れる。

1994-1995シーズンはリーグ戦優勝を経験するもゼリッチはリーグ戦4試合の出場に留まった。

1995-1996シーズンからはプレミアリーグのQPRに移籍しプレミアデビューを果たすもここでも出場機会はリーグ戦4試合のみと限られ、僅か半年のみでブンデスリーガ1部のフランクフルトへ移籍する。

フランクフルトではレギュラーとしてプレーするもこの年フランクフルトはリーグ戦17位と低迷。ブンデスリーガ2部に降格すると、ゼリッチはフランスリーグ1部のAJオセールへ移籍した。

1997-1998シーズンからは再びブンデスリーガ1部のミュンヘンへ移籍。

ここでゼリッチは長らくレギュラーとして活躍。5シーズンプレーし、チャンピオンズリーグ出場などを経験。

ジュビロ磐田で活躍したファネンブルグとも共にプレーした。

オーストラリア代表としても活躍していたが、ミュンヘン在籍時の1999年、オーストラリア代表のファリナ監督と起用にあたって衝突しこの年限りで代表引退を宣言している。

2001年に京都パープルサンガへ移籍。現役ブンデスリーガーのJリーグへの移籍は話題となった。

ゼリッチのJリーグ入り後

京都パープルサンガに移籍したゼリッチは、背番号31をつけ2002年3月3日の第1節ジェフ市原戦でJリーグデビューを果たす。

試合は1-2で敗れたものの、テクニカルなフリーキックや、柔らかく正確なフィードも披露しDFだけではなく後ろからの展開も期待された。

しかし第2節を風邪のため欠場すると翌日には家庭の事情で退団が発表された。

デビューから僅か1週間での退団、しかも公式発表時には既に離日していた事に多くの京都サポーターの失望を買った。

その後、元サンフレッチェ広島のトムソン監督の紹介で同年の8月に浦和レッズに加入する。

しかし加入直後の練習中にふくらはぎの筋肉を断裂し全治6週間の怪我を負ってしまう。

浦和レッズのオフト監督からはDFラインのリーダーになれる逸材として期待されていたが加入シーズンは結局リーグ戦1試合のみの出場に終わった。

2003年、怪我の癒えたゼリッチは浦和のリベロとしてレギュラーに定着。

スピードのある坪井慶介、パワーのある室井市衛の両センターバックの後ろでプレーしゼリッチは最後尾でDFラインを統率した。

安定したプレーでゲームに落ち着きを与えたが、スピード不足の弱点があり相手FWに振りきれられる場面もいくつか露呈した。

浦和はリーグ戦では優勝を逃すも、ナビスコ杯で鹿島アントラーズを4-0で破り念願の初タイトルを獲得。

しかし初優勝の直後、国立の試合会場に乱入したサポーターがゼリッチとエメルソンの優勝メダルを強奪するという事件が発生。

後日、エメルソンにはメダルが返却されたがゼリッチには戻ってくる事はなかった。

この年、ゼリッチはリーグ戦22試合に出場し2得点を挙げる活躍を見せるもこの年限りで浦和を退団。

その後はオーストリア、オランダ、グルジアのリーグでプレーし2008年に現役を引退した。

ゼリッチの引退後と現在

ゼリッチは引退後、米フォックス放送のコメンテーターとして活躍。

メディアで時々、Jリーグや古巣の浦和レッズについて応援するなど日本のことも気にかけているようだ。

豊富な経験と確かな技術で大きな期待を受けたが、Jリーグではその素晴らしい経歴に見合う結果を残す事は出来なかった。

いくら素晴らしい肩書きと恵まれた才能があってもJリーグで成功するとは限らない。活躍するには順応性、適応能力が必要でありそればかりは蓋を開けてみないと分からない。

ゼリッチは今後指導者としてJリーグに凱旋帰国する事はあるのだろうか。

各国を渡り歩きJリーグでもプレー経験のあるゼリッチの手腕は優勝メダルの行方とともに気になるところだ。

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