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石丸清隆の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第230回】

展開力に優れたボランチとして知られ、アビスパ福岡や京都ぱーふさサンガで活躍した石丸清隆。

ミスが少なく安定感があり、攻守のバランサーとして11年間に渡りJリーグでプレー。

2002年には堅実なプレーで京都パープルサンガ天皇杯の制覇に貢献。

現役晩年に加入した愛媛FCではチーム最年長選手として若いチームを牽引した。

石丸清隆のプロ入り前


石丸清隆は1973年に大阪府交野市で生まれた。

小学2年でサッカーを始め中宮JSCに所属。

中学、高校時代は枚方FCで汗を流した。

大阪府立交野高等学校卒業後、阪南大学に入学。サッカー部に入部する。

大学1年時にユース日本代表に選出。大学4年時には夏季ユニバーシアードのサッカー日本代表に選ばれ斉藤俊秀内舘秀樹望月重良上野優作らと共にプレー。日本の初優勝に貢献した。

1996年、石丸は大学卒業後にアビスパ福岡に入団する。

石丸清隆のプロ入り後

石丸のJリーグ初出場は1996年3月30日に行われた第4節ヴェルディ川崎戦だった。

その後もボランチとして出場を続け、10月16日の第24節ジェフ千葉戦でJリーグ初ゴールを記録。3-2での勝利に貢献した。入団1年目からリーグ戦23試合に出場するなど主力選手として活躍した。

固定番号制となった1997年からは背番号8を背負った。しかしアビスパ福岡は勝利に見放され下位に低迷。1998年には年間総合順位が最下位となってしまい、翌年から開設されたJ2リーグ降格回避をかけてJ1参入決定戦にまわった。

石丸はこの参入決定戦5試合全てに出場。12月5日のJ1参入決定戦第5節のコンサドーレ札幌戦では先発出場していた藤本主税に替わり81分にピッチに入ると89分にゴールを決め、J1残留に大きく貢献した。

2001年京都パープルサンガへ移籍。

前年まで三浦知良が背負っていた11番を背負い、J2だったチームのJ1昇格に貢献。

2002年には天皇杯のチームの初優勝に大きく貢献。黒部光昭、松井大輔、朴智星という攻撃的なメンバーの後ろでチームを支えた。石丸は翌年にキャプテンに就任しチームをまとめる。

2004年まで主力選手として活躍していたが2005年には出場機会が全く失くなり、同年10月末にJFLの愛媛FCに期限つき移籍。1カ月弱の非常に短い契約ながらJ2昇格に一役買い、パープルサンガから戦力外通告を受けると愛媛FCに完全移籍を果たす。

愛媛へ完全移籍後は途中出場となることが多かったがリーグ戦31試合に出場。チーム最年長選手として若い愛媛FCを牽引。

2006年シーズンをもって現役引退を発表した。

石丸清隆の引退後と現在

石丸清隆は引退後、愛媛FCのトップチームコーチとなった。2013年からは愛媛FCの監督となり、2015年からは京都サンガの監督を務めた。

2017年からは松本山雅FCのトップチームコーチを務めている。

石丸清隆は現役時代、パス、ドリブル、ゲームメイク、そしてディフェンスとオールラウンドな能力を有するボランチとして活躍した。

派手さはないが堅実なプレーで攻守両面でチームを支えた。このポジションは展開を見抜く観察力と瞬時にパスコースを限定する危機察知能力がないと務まらない。

11年に渡りJリーグでプレーしリーグ戦通算275試合に出場を果たした石丸清隆にはその能力が備わっていた。

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