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巻佑樹の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第197回】

空中戦に強く、ゴール前で身体を張りポストプレーに長ける大型FW巻佑樹。

大学時代は関東大学リーグ新人王、大学選手権3連覇、関東大学選抜、ユニバーシアード日本代表と実績を重ねた。

兄・誠一郎のように泥臭く献身的なプレースタイルが持ち味でFWだけでなく高さをかわれてセンターバックとしてもプレー。

明るい性格で知られ、所属した名古屋グランパスや湘南ベルマーレではムードメーカーとしてもチームに貢献した巻佑樹に迫る。

巻佑樹のプロ入り前



巻は1984年熊本県下益城郡小川町(現:宇城市)に生まれた。

スポーツ一家に生まれ、兄の誠一郎とともに幼少期からサッカーとアイスホッケーを両立していたが中学からサッカー一筋となる。

宇城市立小川中学卒業後、長崎県立国見高等学校に進学。同級生には、渡邉大剛、柴崎晃誠、松橋優、園田拓也がいた。

2年時までは試合に出ることができなかったが3年時にDFとFWで併用され試合に出場するようになる。

2003年兄・誠一郎と同じく駒沢大学へ進学。

監督の勧めもありFWに転向後、その年の関東大学リーグ新人王に選ばれる活躍を見せた。

ゴールもさることながら、前線でポイントを作り攻撃の起点となれ、最前線から献身的に守備もこなす巻佑樹は常勝チームの大黒柱として存在感を十分に発揮した。

全日本大学サッカー選手権大会では2004年からの駒沢大学3連覇に貢献、在学中4年間にわたり関東大学選抜に選ばれ、ユニバーシアード大会(トルコ)の日本代表にも選ばれるなど大学サッカー界で十分な実績を残す。

大学卒業後の2007年、複数のJクラブからオファーを受けるが同じポジションのフローデ・ヨンセンから学ぶ事も多いと考え、名古屋グランパスエイトへの加入を決める。

巻佑樹のプロ入り後

名古屋グランパスに入団した巻佑樹は第8節の柏レイソル戦でJリーグデビューを飾る。

しかしこの年はリーグ戦4試合の出場、ナビスコカップでは5試合で1得点の成績に留まった。

翌年の2008年は開幕戦からベンチ入りを果たし、ナビスコカップでは予選リーグの3月23日ヴィッセル神戸戦で決勝ゴールを決めるなど幸先の良いスタートを切る。

7月2日に開催されたナビスコカップのジェフ千葉戦で兄・誠一郎との初の兄弟対決が実現した事が話題となる。

リーグ戦ではなかなかゴールが奪えず、第27節浦和レッズ戦でようやくJリーグ初得点を挙げた。この年はリーグ戦16試合に出場し1得点の記録だった。

2009年はヨンセンの移籍などにより出場機会を増やす。DF不足によりセンターバックとして起用されたりなど攻守においてチームを支えるがリーグ戦21試合に出場し2得点とFWとしては物足りないシーズンとなった。

2010年はクラブ史上初のリーグタイトルを獲得したが怪我の影響もあってか出場の機会が減ってしまう。

2011年はレンタル移籍で湘南ベルマーレへ。

ベルマーレでは開幕戦のファジアーノ岡山戦から先発出場を果たすなどFWの柱として活躍が期待されたが、6月には故障により長期離脱。

シーズン終盤には復帰を果たすが同じポジションの田原豊やルーカスの活躍により出場機会は少なかった。

レンタル満了後、名古屋グランパスエイトに復帰。

名古屋からDFへの本格的なコンバートを打診され、DFとFWの両方でプレー。だがDFは田中マルクス闘莉王や増川隆洋、ダニエルなどがおり層が厚く、FWにもケネディがいた為に出場機会は限られたが出場した試合では献身的なプレーでチームを支えた。

しかしリーグ戦11試合出場無得点に終わり、名古屋から戦力外通告を受ける。

移籍先を探してサッカーを続けるか、このまま引退をするか悩んだ結果、巻佑樹は28歳の若さでの現役引退を決断する。

巻佑樹の引退後と現在

巻佑樹は引退後、名古屋グランパスのスカウトに転身。

巻佑樹の明るくまじめな人間性がクラブ側に評価されて、GMからスカウト業にスカウトされたのが転身のきっかけとなった。

巻は平日は高校や大学の練習に、週末は試合会場へと全国を飛び回る生活を送っている。

自宅に滞在する時間は月でいうと1週間くらいと多忙を極める。

大学サッカー界きっての花形選手として入団しながら僅か6年間という短い現役生活でプロ生活を終えた巻佑樹。

このままスカウトの道を歩み続けるのか、指導者の道を新たに歩むのか分からないが現役時代と変わらない巻佑樹の屈託のない笑顔を見ていると不思議と成功するビジョンしか浮かんでこない。

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