鍛え抜かれた強靭な肉体と187センチの身長を生かしたプレーが持ち味の岩政大樹。
確かな守備理論と計算された守備で鹿島アントラーズで幾多のタイトル獲得に貢献した。
日本代表としても2010年南アフリカワールドカップメンバーに選出。
また岩政大樹はディフェンスでありながら得点能力も高く、入団後9シーズン連続で得点を記録している。
鹿島アントラーズ退団後は国内外、カテゴリーを問わず様々なチームで活躍した。
日本を代表するクレバーなディフェンダー、岩政大樹に迫る。
岩政大樹のプロ入り前
大島町立沖浦小学校(現・周防大島町立沖浦小学校)2年生時、3歳上の兄とサッカーボールで遊んでいたことをきっかけにサッカーを始める。
教師である母が赴任していた学校の大島サッカースポーツ少年団に小学4年で加入し、本格的にサッカーに取り組んでいく。
大島中学校ではサッカー部がなかったため陸上部に所属、生徒会長も務め一方で地元の大島JSCでサッカーを続け、キャプテンとして県大会優勝に導いた。
サッカーの強豪である多々良学園からの誘いがあるも、岩政は進学校である岩国高校へ進学。
全国高校サッカー選手権には出場出来なかったが、3年時に国体メンバーに選出。
しかし岩政は骨折の為、試合には出場出来なかった。
高校卒業後、教師になる為に東京学芸大学へ進学。
プロ選手になるという事は現実的に考えず、大学在学中に中学校、高等学校の数学の教員免許を取得した。
しかし蹴球部で1年時に関東大学リーグ1部の新人王に輝き頭角を現すと、2年時には全日本大学選抜、3年時にはアテネオリンピック出場を目指すU-22日本代表に選出されるなど大学屈指のセンターバックとして名を馳せる。
4年時にはFC東京の強化指定選手として加入。
手応えを感じ、プロ選手として生きていく事を決意した岩政は大学卒業後、鹿島アントラーズへの加入を決める。
岩政大樹のプロ入り後
背番号15を託された岩政は2004年4月4日J1 1st第3節名古屋グランパスエイト戦でJリーグデビューを果たす。
大卒ルーキーながら1年目の後半戦からレギュラーに定着すると、リーグ戦18試合に出場しDFながら4得点を記録した。
翌年の2005年は開幕からレギュラーとして活躍。リーグ戦31試合に出場し3得点を挙げると3年目からは秋田豊、金古聖司が背負ってきた背番号3を引き継ぐ。
2007年、5月19日の新潟戦から6月16日の広島戦にかけて、DFとしてはJタイとなる4試合連続得点を記録。
12月にはJリーグアウォーズにて自身初のJリーグベストイレブンに選出された。
2009年4月29日神戸戦にてJリーグ史上最速のリーグ戦クラブ通算1000得点を決める。
日本代表には2009年のキリンカップ、スコットランド戦でデビュー。
岩政はそれまで日本代表として国際Aマッチ出場が数試合しかなかったが、2010年の南アフリカワールドカップ日本代表に選出される。
闘莉王や中澤佑二に次ぐ選出ではあったが、ロングボールを多用するゲーム展開や試合の終盤での起用が期待されたが結局ワールドカップでは出場の機会はなかった。
日本代表のフィールドプレーヤーで2010年のワールドカップの出場機会がなかったのは岩政と内田篤人と森本貴幸の3人のみだった。
その後も日本代表にはコンスタントに召集を受けるが2011年が最後の出場になった。
鹿島アントラーズでは2013年まで主力として活躍するも第14節の川崎フロンターレ戦でオウンゴールを含めた4失点を喫すると徐々に出場機会が減り、このシーズン限りで鹿島アントラーズを離れる事になった。
2014年からはタイプレミアリーグのテロ・サーサナへ移籍。岩政自身初の海外移籍となったが、リーグ戦37試合に出場し5得点を挙げた。
後にJリーグベストイレブンにも選ばれたチャナティップ(J1・コンサドーレ札幌)らとともにプレーし、テロ・サーサナのリーグカップ制覇に貢献した。
2015年には元日本代表の加地亮らとともにファジアーノ岡山でプレー。
初年度よりキャプテンに就任し、リーグ戦全42試合にフル出場を果たし、精神的支柱として活躍した。
岡山では2シーズンプレーし、2017年からは関東1部リーグの東京ユナイテッドへ移籍。
選手兼任コーチとしてプレーし、同時に東京大学運動会ア式蹴球部コーチにも就任している。
東京ユナイテッドでは2年間プレーし、2018年を持って15年の現役生活にピリオドを打った。
岩政大樹の引退後と現在
岩政は引退後、サッカーの解説業をスタート。
分かりやすく的確な解説が好感を持たれ、テレビや雑誌でも活躍する一方、岩政は新たなコンテンツサービス「PITCH LEVELラボ」を解説。
岩政からの発信のみならず、メールマガジンやイベント、試合観戦などを通して読者・参加者の質問や疑問、意見に回答し、それぞれの考えを様々な形で可視化し、多様な意見を通してサッカーの見方を深めていくというものだ。
この新たな試みについて岩政は「たとえ正しくなくとも、少しずつでもサッカーの本当に近づいていきたい。そのためには納得するまで考えること、考えたら試してみること、そして、それを語り合うこと、学び合うことだと思います。」と話している。
岩政の挑戦はこのコンテンツサービスのみならず様々な形で具現化されていくだろう。
今後どうなるのか。岩政が言う「サッカーの本当」とは一体どういうものなのか、注目したい。