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吉村光示の現役時代、生い立ちやプレースタイルに迫る【第221回】

守備的ポジションならどこでもこなせるユーティリティープレーヤー吉村光示。

ヴィッセル神戸では豊富な運動量で右サイドバックやボランチとして活躍しリーグ戦181試合に出場。

フィジカルが強くセットプレーでは空中戦の強さを発揮。2000年にはリーグ戦6得点を挙げている。

名古屋グランパスで活躍した実弟の吉村圭司との兄弟対決も話題となった。

吉村光示のプロ入り前


吉村光示は1976年高知県高岡郡佐川町に生まれた。

小学校から佐川サッカースクールに所属。サッカースクールには山口智がいた。

佐川中学校を経て愛媛県の南宇和高校へ進学。
高校時代は3年連続で選手権に出場。吉村の1つ上には大森健作、大木勉がいた。

吉村は2年時から攻撃を司る司令塔として活躍。全国高校サッカー選手権では2回戦で武南高校にPK戦の末に敗れている。

3年時に出場した選手権では3回戦に進出するも鹿児島実業に0-1で惜しくも敗れた。
その他にも新人戦優勝、高校総体ベスト4など高校時代は輝かしい成績を収めている。

1995年サンフレッチェ広島に入団する。
同期には久保竜彦、大木勉、山根巌、西田吉洋、萩野英明、三浦和俊、水田月満、玉田真人がいる。

吉村光示のプロ入り後

サンフレッチェ広島在籍中は出場機会はなく1997年にヴィッセル神戸に移籍。

1997年、ヴィッセル神戸に加入するとフィジカルの強さをかわれ右サイドバックに定着。開幕戦の鹿島アントラーズ戦に先発出場を果たした。

この年の2ndステージ第11節アビスパ福岡戦では34分に初ゴールを決めると79分に2点目を決め勝利に貢献した。

その後は右サイドバックだけでなく3バックの一角やボランチとしても出場するユーティリティプレーヤーとなった。

2000年には守備的な選手ながらリーグ戦24試合に出場し6得点を挙げた。

2004年、7年半を過ごしたヴィッセル神戸を離れ大分トリニータへ移籍。ハンベルガー監督の元、大分でも守備の要として活躍。2ndステージ第7節名古屋グランパス戦では実弟の吉村圭司との兄弟対決も実現した。

大分で2シーズンプレー後、アビスパ福岡、横浜F・マリノスと渡り歩いた。

横浜F・マリノスでは試合に出場できず戦力外通告を受ける。

2008年にJ2に昇格したFC岐阜へ移籍。

怪我の影響で出場機会は限られたがリーグ戦19試合に出場し1得点を記録。

この年をもって契約満了につき退団。

吉村は同年引退を発表し、14年の選手生活に幕を下ろした。

吉村光示の引退後と現在

吉村光示は引退後、大阪学院大学のコーチに就任。

2011年より、古巣のヴィッセル神戸のコーチに就任し2014年からは強化担当に配置転換された。

2016年からは大分トリニータのヘッドコーチに就任。吉村光示は片野坂知宏監督と共に大分トリニータの躍進を支えている。

今年の大分トリニータは強い。藤本憲明、オナイウ阿道の覚醒も理由のひとつだが大分の、GKから繋げていく組織的なパスサッカーがJ1のサッカーにフィットしている。そんな印象だ。

ディフェンシブサードからGKがパス回しに参加し攻撃を組み立てていく大分のサッカーは緻密な計算の上に成り立っている。

見ていて心臓に悪い程にリスクが伴う場面もあるが、相手の選手がボールを奪いにくるその時こそがスペースが出来るチャンスであり攻撃の糸口となるのだ。

今後、J1で一世を風靡した大分トリニータの戦術はもちろん研究され対策を取られるだろう。

その後の大分トリニータがどのような巻き返しを見せるか非常に楽しみである。

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